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2024.09.14
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テーマ:読書備忘録(1394)
カテゴリ:読書
■清張さんと司馬さん■

■内容説明■
数多の名作で、昭和史そして戦後社会のあり方に立ち向かった二人の巨人、松本清張と司馬遼太郎。
編集者として間近に接した著者が語る文豪の等身大の実像。
■目次■
1■二人の文豪と私/2■社会派推理小説の先駆者として
3■古代史家としての清張さん/4■時代小説から歴史小説へ
5■『坂の上の雲』から文明論へ/6■巨匠が対立したとき
7■司馬さんと昭和史/8■敗戦の日からの観想
9■清張さんと昭和史/10■『日本の黒い霧』をめぐって
11■司馬さんの漱石、清張さんの鴎外/12■司馬さんと戦後五十年を語る
★著者等紹介★
半藤一利[ハンドウカズトシ]
1930年、東京生まれ。
1953年、東京大学文学部卒業。
同年、文芸春秋入社。以来『週刊文春』『文芸春秋』各編集長、出版局長、専務取締役等を歴任。
1993年、『漱石先生ぞな、もし』で第十二回新田次郎文学賞を受賞。
1998年刊の『ノモンハンの夏』(文芸春秋)では、第七回山本七平賞を受賞した。
考えてみると、ほんとうにいちばんいい時代に編集者であったようです。
昭和三十年代から四十年代は、
「清張さんと司馬さんの時代」でありました。
そのとき、この二人の作家と、ときには怒られながらも、親しく話を交わせるという幸運に浴したのですから。

あとがきより。

 映画■「90歳何がめでたい」■を見て、作家と編集者のことをちょっとネットで調べたら、作者の半藤一利が松本清張と司馬遼太郎の担当編集者だったことを知った。

そして、図書館で「清張さんと司馬さん」という半藤一利の作品を発見!!
さっそく読んだ。
●メモ●*は、私のメモ
1■二人の文豪と私■
★司馬
(略)司馬さんが会う人の出自をかならず聞く人であること、
苗字から出身をあてる特技をもっていることもわかりました。
風土と人間の関わり合いに深い関心をもつ、いかにも歴史好き、かつ地理に詳しい司馬さんらしい質問と思いました。

★清張
(編集者が)東大出や官立大学出身と聞くと、ウヒヒヒとなる。
(略)
われこそエリートなんて顔をしている連中の鼻っ柱をポキっと折るのを無情の愉しみとしていた。

★司馬
古今東西、神羅万象、人生百般知らぬことなく、説ききたって倦むことを知らない、といった方です。
話すことを最高のリクリエーションとする(略)

*さすが、大阪人。

4■時代小説から歴史小説へ■
●司馬
ある人間が死ぬ。
時間がたつ。
時間がたてばたつほど、高い視点からその人物の人生を鳥瞰することができる。
いわゆる歴史小説を書くおもしろさはそこにある。

5■『坂の上の雲』から文明論へ■
●司馬
(略)つまり、こまごまとしたエピソードやゴシップまで、文献にあたり専門家に尋ね、納得ゆくまで調べあげる。
「海軍軍人の袖には、なぜ金筋が入っているのか」
「海軍の音楽隊の人は、闘争中は何をしているのか」
そんなことまで調べあげる。
「連合艦隊が鎮海湾を出ていくときの命令は何だったのか」

●司馬
「空を見ても、川を見ても、山を見ても、ああ美しい、いい国に生まれたなという思いを、子供たちに残す。
それが私たちの義務というものじゃないか」
●(古書店主人が)半ば呆れながら語ってくれたそうです。
「とにかく関係するものは残さず集めてくれ、とおっしゃっるのです。
竜馬自身のものでなくても、竜馬が各地方へ足をのばした場合の、その地方の郷土史だとか、会った人の家族の関係だとか、そういうものを何でもいいから集めてもらいたい、
と注文をされたといいますよ」

それで「竜馬がゆく」ですと、およそ三千冊、重さにして一トン。
金額は昭和三十年代当時で一千万円であったというのです。
ちなみに昭和三十五年のわたくしの月給は二万円ちょっとであったと記憶しています。
8■敗戦の日からの観想■
●司馬
外国から都市美観のえらい先生方が来られたとき、貝塚茂樹さんが京都を案内して清水坂に行ったときのことです。

「これはすばらしい美観だ」といって外国の先生方がほめた。
「もっとも、電柱がいけないね」ということになった。
そのとき貝塚さんは少しも騒がず、
「いえ、日本人には見たくないものは見ないという特技がある」と(笑)
12■司馬さんと戦後五十年を語る■

●司馬
昭和二十五年だったと思いますが、天皇さんが舞鶴方面に巡幸された時に、
僕は京都支局にいましたから、二日か三日くっついて歩きました。
水産試験場で、京都府知事の蜷川虎三(にながわとらぞう)さんの説明を聞き終わった天皇さんがお礼を言って振り向いた時に、
僕は後ろにいたものですから、衝突したことがある。
これは、もういい社会です(笑)。

*天皇に対して、「天皇さん」というのは、関西弁。
関西は、「様」ではなく「さん」よび。
天神様ではなく、天神さん。

*この時、司馬は、27歳だと思う。
その若さで、支局を代表していたのか。
そうとすれば、やっぱりすごい。

*京都府知事の蜷川さんって、その頃から府知事をしていたのか。


●司馬
日本は思想といのものは、常に海外にあると思って(略)
平安朝には仏教を持ってきた。
鎌倉時代は無思想で、現実の土地問題のみをやった。
江戸時代は儒教の時代。
明治も(略)常に海外にあった。
だから戦後も向こうにあるものを持ってきて(略)。
■あとがき■
●それに編集者時代のことは秘しておくのが礼儀なりと思っている。
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Last updated  2024.09.14 00:07:12
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