テーマ:読書備忘録(1394)
カテゴリ:読書
司馬さん一行は、新潟空港経由、プロペラ機で佐渡に入った。 両津の佐渡空港で地元の郷土史家の山本修之助氏らの出迎えを受け、熱串彦神社に寄る。 恋ケ浦で宿泊、翌日、旧本陣であった山本家で資料を見せてもらった後、南の小木に向かう。 蓮華峰寺では、廉直な役人が追いつめられて立てこもった「小比叡騒動」に思いを馳せ、小木港では海に出て、佐渡の玄関口だった近世の景観を想像した。 宿を取った真野の恋ケ浦では、当時小説を準備していた司馬凌海の取材をした。 翌日は相川に向かい、金山に送り込まれた無宿人たちについて思いを巡らす。 道中、金山開発に功績があった大久保長安や、幕末の佐渡奉行・川路聖謨についても考える。 ●目次(「BOOK」データベースより)● 佐渡のみち(王朝人と佐渡/大佐渡・小佐渡/あつくしの神/真野の海へ/倉谷の大わらじ ほか) ●内容紹介(「BOOK」データベースより)● 「佐渡のみち」では、江戸初期の佐渡でおきた「小比叡事件」の主人公、辻藤左衛門が登場する。 歴史的にはそれほど有名ではないが、いじめぬかれ、最期は名誉を賭けて戦った男への深い同情を感じさせる。 ●(新潟空港から佐渡まで)プロペラ機で20分。 ●来いと言(ゆ)たとて行かりょか佐渡へ 佐渡は四十九里波の上 という唄がある。 ●鶯や十戸の村の能舞台 大町桂月 十戸ほどの小さな村でも能舞台をもっているということらしい。 ●「ここは倉谷の集落の入り口ですが、入り口の電柱にこういう大わらじを掛けておくと、悪い者が怖れてむらに入ってきません」 「道切(みちきり)というあれでしょうか」 (略)村の入り口にある樹木などに注連縄を張り、その下に巨大なわらじをぶらさげて、 ・・・この村には、こんな大わらじを穿く大男の荒神がいるぞ。 ということを誇示しておく呪術なのである。 ●「流(る)」 というのは、律令の刑罰の一つで、奈良朝以来、明治初年まで用いられた。 死罪に次ぐ重罪である。 ただし流してしまえばその地で自由に暮らせたらしい。 江戸幕府では、流という言葉はあまり使わず、公用語は遠島であった。 ■街道をゆく 北のまほろば (夏)■ ■街道をゆく:北のまほろば(冬)■ ■街道をゆく27因幡・伯耆のみち■ ■街道をゆく7:甲賀と伊賀のみち■ ■街道をゆく3:肥薩のみち■ ■湖西のみち/竹ノ内街道/葛城みち■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.11.06 10:26:47
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