本丸庭園と二条城の説明
二条城 本丸庭園にて「二条城」(以下 地下鉄二条城駅構内説明板より) 堀川通の西、押小路通北側の中京区二条城町に所在しています。徳川家康によって築造された城郭であり、慶長8年(1603年)には、完成し、その年に征夷大将軍に任じられた家康が入場しています。敷地は、平安宮の一部や神泉苑の北部を取り込み、26万平方メートル余りの広大なものです。江戸時代を通じて、公武合体の儀礼の場として江戸幕府がしようしていますが、慶応3年(1867年)には、第15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)による大政奉還に伴い天皇家に帰し、明治元年(1868年)には、大政官代と成りました。その後京都府庁舎や裁判所として使用された後、宮内省管理に戻り二条離宮と改称されました。大正4年(1915年)に天皇即位礼に用いられた後、昭和14年(1939年)には京都市に移管され、史跡旧二条離宮宮となり現在に至っています。地下鉄東西線建設に伴う発掘調査では、江戸時代から近世にかけての、二条城の堀の南側柵列(さくれつ)およびその南側での白砂の敷かれた押小路通路面や同通北側溝などの遺構を発見しています。これらの発掘調査成果から、江戸時代の二条城周辺は、城と共に現在にもまして美しく管理されていた地域であったものと見られます。