富貴寺と銀杏の葉
富貴寺 大堂そもそも六郷満山とは、 国東と宇佐は近い故、宇佐八幡信仰と奈良・平安時代の仏教、天台仏教、修験道などの山岳信仰などが混ざり合い、融合して形成された神仏習合の国東独自の宗教文化のことです。 現在の国東半島を中心とした旧国崎郡は、来縄(くなわ)・田染(たしぶ)・伊美(いみ)・武蔵(むさし)・安岐(あき)の六つの郷に分かれていましたので、「六郷山」と呼ばれるようになりました。六郷山には、法華経八巻二八品に擬えて28の寺(本寺8寺、中山本寺10寺、末山本寺10寺)が建立されました。この28の寺とその末寺(37寺)を含めた65の寺を「六郷満山」といいます。往時には国東半島一帯に約800の大小の御堂、石仏、石塔が点在していたそうです。