ルドビコ・ガルニエ神父
大江天主堂のステンドグラスルドビコ・ガルニエ神父 明治7年(1874年)には、キリスト教が復活し、大江地区には明治15年(1882年)にボンネ神父が大江、崎津の初代主任神父として着任しました。しかし期間は数ヶ月で同年12月にはフェリェ神父と交替しました。明治25年(1891年)にフェリェ神父の後任として着任したのがフランス人のガルニエ神父です。ガルニエ神父は大変質素な暮らしをし、節約をして自分の給料を貯え、天草が飢饉に陥ったときはその資金で村人を救済し、後の天主堂の建替え費用にも充てました。昭和7年(1932年)に新聖堂の建設に着工しましたが、思った以上に建設費がかさみ資金不足になりました。しかし天草の信者に負担をかけたくないという気持ちから、フランスの親戚などにお願いし資金を工面したそうです。地元の人は敬愛を込めて「パアテルさん」と呼んでいたそうです。ガルニエ神父は、生涯を天草の伝道に捧げ、昭和16年(1941年)に82歳で亡くなりました。