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2020.11.28
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カテゴリ:
『コンビニ人間』 村田沙耶香 文藝春秋

 この小説は人間社会が「ヲコ幻想」と「私有幻想」からしか成り立っていないことをよくいいあらわしている。それは縄文時代から変わらないというのもするどい。さらに現代の「共同幻想」(村)と「対幻想」のあり方も暗示している。(村)はいつの時代も貧しいものなのだ。そんななかで「自己幻想」と「対幻想」を大事にして、他者から侵蝕されないように踏ん張って生活しているのが、だいたいの人たち。
 この物語に出てくる中古青年は「ヲコ幻想」と「私有幻想」に侵蝕されている。だから(村)には入りきれない。当然のようにさえない、この男がちょっと考え方のずれている主人公の女性に就職の面接試験を受けさせるとこまでこぎつける。このとき、この男は今までになく生き生きとなるのである。それは「私有」するものを得た喜び、高揚なのである。
 女が心変わりして、面接試験は受けないという。へんな女だからそれはしかたがないのだ。男は捨てぜりふをはいて、その場を出て行く。小説はこの辺で終わりである。

 この小説は図書館で借りたのだが、けっこう予約が入っていた。はばひろく人気があるのだろう。集中すれば2,3時間でよめる小説である。

 その後のこの中古青年のことを少し考えてみる。
 この男、捨てぜりふをはいても行くところがない。このさえない女の部屋にころがっているより、しょうがない。この女を(私有)できたことで多少自信をつけることができたのだが。一方で、こんな女は僕の女ではないと、自分に言い聞かせることでプライドを保ちつつ寄生を続ける。そして良質のひもであると自覚したとき、愛というようなものがめばえる。それによって縄文時代からの呪縛が解ける?
 いい小説に蛇足をつけてしまって申し訳ない。
 インターネットに、この小説から安部公房の「箱男」を思ったというのがあったが、あたいは読んでるとき「友達」を思い浮かべた。そして今これを書いていて「砂の女」が頭に浮かぶ。





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最終更新日  2020.11.28 16:48:23
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