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カテゴリ:いじめ
いじめって何が楽しいんだろう?
俺はよく分からない。 いじめっ子の気持ちになんてなれないし、なりたくもない。 今度いじめっ子に聞いてみようかな。 いじめって何が楽しいの?って。 優秀ぶった偽善者の先生は、 バカの一つ覚えみたいによく言う。 「いじめられた人の身になってみなさい」と。 そんなこと、10年やそこら生きただけの未熟な人間に、 出来るわけがないじゃないか。 では先生は、いじめられた人の身になって、 物事を、いじめを、考えたことはあるのか? 大人だって、先生だって難しいことを、 果たして子供達が出来るのだろうか? ならば、どうすればいい? いじめを失くすには、いじめを止めさせるには、 先生は生徒に、何て言葉をかけたらいい? 俺も1生徒だ。 俺が先生に「いじめられた人の身になれ」と言われたら、 絶対「先生はなったことあるんですか?」と言うだろう。 そう言い返されて何も答えられず、 へ理屈ばかり並べる先生達は、 そうならないために、何と答えればいい? このままその答えを見つけられずにいたら、 先生は間違って、「好きなだけいじめなさい」 と言ってしまうかもしれない。 そんな学校になってしまうかもしれない。 そうならないために、 今俺は先生に何と言う言葉を授けたらいい? 俺はいじめられっ子を守りたい側として、 何と言う言葉を用意したらいい? ではいじめられっ子の気持ちになってみるより先に、 いじめっ子の気持ちになってみよう。 何故いじめを繰り返す? あいつが、いじめる標的の奴が、ムカツクからか? 標的が、キモいからか? 標的が、調子に乗ってるからか?ウザいからか? それとも・・・ いじめって快感なのか? 人をからかい、蔑み、追い込むのが快感なのか? 楽しいのか? 人を自殺させるのが楽しいのか? それでも、人が死んでも遊びだったと言い切るのか? ゲームだったと言い切るのか? ちょっとリアルな最近流行のゲームとでも言い切るのか? 「いじめ」が、もうリアルなゲームになりつつあるのか? 社会はそれを見過ごしているのか? 子供達の心を、上手く捉えられずにいるのか? この世界は、そんなに面白くないか? 「いじめゲーム」にはまるほど、面白くないものばっかりか? いじめが楽しい・・・ では、何が楽しい? 人が実際に死ぬから、スリルがあるからか? 人が傷ついて、ショックを受けてる顔を、 見てると気持ちいいからか? 何だ?何が楽しい? いじめっ子、君は何が楽しくていじめてるんだい? いじめっ子、君は何を求めて、いじめを続けるんだい? いじめって、何故起こるんだろうなぁ・・・。 確かに面白くない奴、気に入らない奴はたくさんいるよなぁ。 確かに気持ち悪い、生理的に受け付けない奴はたくさんいるよなぁ。 それを排除したいためか? それを、余分なものを排除したいために、 いじめという道を選ぶのかなぁ・・・。 じゃあ、いじめっ子さん。 君がもし、そういう気持ち悪い顔の子供に生まれてしまったら、 どうやって生きていくつもりだったんだい? 同じようにいじめられて、 どうやって切り抜けるつもりだったんだい? 君がもし、気に入らない奴のリストに載ったら、 どういう行動をするつもりだったんだろうなぁ・・・。 それが、先生の言う、「いじめられっ子の気持ちになる」 ということなんじゃないのかなぁ? でも、先生もさぁ、 「俺は大人だから、いじめはいけないことだなんて、わかってる」 っていう偉そうな顔してないで、 生徒に混じっていじめについて話し合ったらどうか? だって、そういう顔してる人が一番、 分かってないんだから。 もちろん先生としてではなく、 大人としてではなく、 一人間として、生徒達と対等な立場で、 真剣に話し合ったらどうか? 結局はそういうことなんだよね。 皆、「いけないこと」を分かったふりで大人になってるから、 周りの子供が「いけないこと」をしたって叱れない。 だって自分自身も、それが「いけないこと」だって、 本当は知らないんだから。 俺がしてみたいのは、 「いじめゲーム」なんかじゃない。 いじめっ子に、いじめられっ子を体感させるゲーム。 少しは、自分の気持ちの整理が出来るだろう。 そうやって、皆がお互いの事を理解しあって、 平和な世の中になったらいい。 理解し合うのにつまずいたって、 「いじめ」なんて簡単な逃げ道に行かないで、 「話し合い」っていう険しい道を選んでいけたらいい。 「いじめ」なんて言葉、 広辞苑に載せないくらい、 学校が明るく、楽しくなればいい。 たくさんの友達と、 笑いあって、 泣きあって、 思い出を、 楽しい時間を、 共有できるような青春の場に、 学校がなれるように、なったらいい。 そうすれば、そういう小さいところの戦争を片づければ、 世界中の人々は理解しあえるようになるかもしれない。 国際戦争だって、核兵器だって、 なくなるような平和な世界になるかもしれない。 そういうことを願ってる。 でも、願ってるだけじゃ仕方がない。 だから今、人間は、 学校という小さな空間の、 教室という小さな箱での、 「いじめ」という紛争に、 終止符を打たなければならない。 それは簡単なことではない。 だけど、少しずつ、前進していくためには、 一人一人が、その簡単ではない、困難なことから、 逃げてはいけないんだと思う。 いじめについて。 基本的に、「逃げ口」。 人間が面倒なことから逃げる時に、起こすもの。 そんな心の弱さが、起こすもの。 余計なものの排除も簡単だけど、 最近はその逃げ口の排除も、 案外容易いような気がしてきた。 なんか、また偉そうなこと言っちゃった。。 話もなんか、脱線してる気が。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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