朝からぱんず(妹)に、めちゃくちゃに部屋を荒らされ
キレた母(--〆)
ペンのふたを閉めずに開けっ放しで放りっぱなし。
やることをいっても聞かずに悪態三昧。。
怒鳴ってばかりのぱんず(母)に影響されたのか
いらいらし始めるぱんずちゃん。
そのまま家にいても仕方がない。。
消費税も上がるしなーと思い、しぶしぶ
コンタクトを買いににいきました。
待っている間、ぱんず姉妹は近くのスーパーへ行くようです。
明日はお祭りです。
ぱんずちゃんは、すでに緊張しているし
材料も買い込んでいました。。
いつものように「腹減った!!」とはじまり
ぱんず(妹)の希望の店へ入りましたが
けんかがとまりません。
ぱんずちゃんの暴走が止まらない。
帰宅してから、もっていく材料やらで、言い合いになりました。
「調理器具もっていっていい?」というぱんずちゃんに
「何をもっていくかそろえたら、見せて。」といってるのに
「調理器具だよ!!」の一点張りです(;一_一)
「へら。お玉。菜箸。どれだよ。」と言えば
紙に書いて渡してくる。。
「物を見なきゃ分かんないでしょ。一つしかないわけではないのだから」
といえば、今度は、ひとつかみで握りしめてもってくる。。
見えないので、少し引っ張ったら落ちてパニックになってます。。
「つかんでたら見えないでしょ。両手に広げて見せたら。
私の言う事を理解しようとしないでしょ。
自分の言いたい事ばかり言って。。」と言いましたが
どうにもなりません。
八つ当たりですな。。
ぱんずちゃんをおいて、ダンスへ出かけることにしました。
用意をしている間も、パニックが続き、怒鳴り散らしています(--〆)
パニックになっているぱんずちゃんを
じっと見つめるぱんず(妹)の視線を感じて
嫌がり「みるなー!!」と叫んでいるし。。
そのうち「なんでこんなふうに(発達障害で)
産んだんだ!答えろ!!」とはじまりました。。
要は ”生きてるのがつらい”
”こうなっているのがつらい”という訴えでしょう。。
その質問にこたえる気はありません。
原因がはっきりしないのですから。
ただ一つ言える事はあります。
「どんな特徴をもっていたって、私は一生懸命産んだの。
どんなぱんずちゃんだって、受け入れるよ。」と言いました。
以前は ”いつも応援してる” ”一番大事だよ” ”一緒に考えよう” とか
ぱんずちゃんのその時に響きそうな言葉を選んで伝えてきました。
私の元に生まれてきたら、他の子どもと違う事が多かった事。
なぜ違うかわかった時に、納得した事。
自分もそうだった事に気づいて楽になった事。
ぱんず(母)の両親の上の代から、そういった人は多かった事。
それに気づいたときに、誰も責めなくなった事。
他の身内の人は気付いてないけど、生きづらさを抱えているのは見えていた。
ただ、それに気づいても気をつけようとしようとした人はいなかった。
ぱんず(母)の両親は親の役目を果たしてなかったし
果たそうとする気も感じられなかった。
発達障害をもっていると判断できる事がたくさんあったことに気づき
彼ら(両親)は、わざとそういった言動、行動をしているわけではないと
思えたとき、私ならぱんずちゃんに伝えられると思った。
ぱんず(母)の母は、ADHD丸出しだが、育った環境も知っているし
トラブル三昧の日々を送っている。。
ただ、そんな母でも一生懸命産んでくれたから、今の自分がいる。
ぱんず(母)の父から「私が生れた時幸せだった。」という言葉を
聞いたのは、ぱんずちゃんが3歳になったとき。。
子どもの頃は、存在価値などないと思っている状況で
死ぬ事ばかり考えていたが、そういう特徴をもっている人から離れて
一人で生活をし始めて、一般常識が身についてない中で働くと
トラブルや、人間関係でもめてばかりいた。。
それでも家族ができて、ぱんずちゃんができて産むまで
一生懸命だったのは確かだ。
”一生懸命産んだのだから、それでいい。”
どんなに責められたって、その想いは変わらない。
ぱんずちゃんの事を誰よりも想っているのは自分だから。
その想いを伝えてきたからこそ、ぱんずちゃんは
ぱんず(母)を母艦のようにしているように感じるときがある。
ダンスへ行き、帰宅すると
悪いと思ったのか、家から出てきたぱんずちゃん。
明日が待ち遠しいし、楽しみなようです。
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