テーマ:韓国!(17288)
カテゴリ:在日関連
PRFにも書いていますが、私は人間らしく、ごく普通に本名で生きる、同じ日本に住む市民として、そんな人に優しい社会を願っています。 「祖国は韓国、母国は日本」そう言いつつも、韓国へ留学した在日の大部分が3ケ月を過ぎたら、”自分のイアデンティー”の部分で、葛藤し落ち込むといいます。 祖国と思い続けた韓国社会の中にある”在日”に対する、無知から来る蔑視と、差別の現実を目の当たりにしてに落胆するんでしょうね。 その蔑視や差別に対して韓国語をしゃべれないがため、反論できず、歴史を学ばなかった為に抗議すら出来ない自分自身に苛立ちを覚えるものが通常のパターンです。自分自身が頑張らなければ、学ばなければ、日本に居ても、韓国に居ても、何も始まらないのが在日の”今日”です。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より、 金城 龍彦(きんじょう たつひこ、1976年7月27日 - )は、プロ野球横浜ベイスターズに所属する外野手。背番号は1番。プロフィール 出身地 - 大阪府大阪市東成区 血液型 - A型 投打 - 右投両打 球歴 - 近大付高→住友金属→横浜(1999~) 指名順位/年度 - 5位/1998年 英語表記 - KINJOH 守備位置 - 三塁手→外野手 来歴 1976年 - 元近鉄バファローズの選手である父・金城晃世の三男として生まれる。 1993年 - 高校は近大付高に在学。予選決勝で松井稼頭央(現ロッキーズ)、福留孝介(現中日)擁するPL学園に勝ち、甲子園出場を果たした。当時のポジションは投手。当時、現楽天の藤井彰人とバッテリーを組んでいた。 高校卒業後は社会人野球の住友金属に所属。 1999年 - ドラフト5位で横浜に入団。当時の背番号は37。プロ入りすると同時に打者転向。 10月3日の対中日戦で初出場 2000年 - 結果を残さなければ2軍落ちという状況でプロ第1号となる代打本塁打を槙原寛己から放つ。これをきっかけに打撃の才能が開花。三塁手のレギュラーに定着し、首位打者と新人王のタイトル獲得。同時受賞は史上初、一時打率は4割を超えていた。 中略 2005年 - 打順が3番に。R・ローズの球団記録にあと一本と迫る191安打を放った。そして守備面でも評価されゴールデングラブ賞も初受賞する。また、2006年3月に開催されるWBC日本代表に選出された。 母国でのヤジ 横浜ベースターズの金城選手 ≪2006.08.09 朝日新聞 朝刊 国と私≫ ↓ 韓国選手の歓喜の輸は、やがて太極旗(国旗)を先頭にしたウイニングランになった。 「優勝したみたいやな」。横浜ベイスターズの金城龍彦(初)は、ベンチ前のさくに寄りかかったまま、悔しそうな表情でそれを見つめた。 3月15日、米カリフォルニア州アナハイム。野球の国・地域別対抗戦(WBC)2次リーグで日本は韓国に敗れた。日本での1次リーグに続く敗戦だった。韓国系米国人の多い町で、スタンドは韓国への応援が圧倒的だった。似たようなアウエーの雰囲気を、以前にも感じたことがあった。 中略 94年夏。韓国・ソウルの東大門野球場に金城はいた。韓国の高校野球全国大会「鳳風大旗争奪大会」が開かれていた。「韓国の甲子園」と言われるこの大会に、日本から在日韓国人のチームが参加。3年生の金城も、その一員だった。 最初の試合で「おかしい」と感じた。観客からは自分たちへのヤジが飛び交う。ストライクとボール、アウトとセーフ。審判の判定は不利なものばかりのような気がした。 「勝たせるな」という空気が、球場を包み込んでいた。 中略 二つの祖国揺れる心 中略 「ぼくらは敵なんやな」。 初めて訪れた祖父母や父母、そして自らの「祖国」。日本を出発する時の高揚感が、急速に冷めていく。準々決勝で敗れると、猛烈なホームシックにかかった。 祖国のことを知ってほしい、好きになってほしい。堺市に住む在日本大韓野球協会会長の韓在愚(69)、そんな思いで選手を集め、毎年韓国ヘ連れて行った。審判ともめるのは毎度のこと。かつては観客から「パンチョッパリ(半日本人)」というヤジが絶えず、ツパをかけられる選手すらいた。 「これで、母国愛って生まれるのか」。 韓は自問した。年々、選手や資金集めが難しくなった。56年から始まったチーム派遣は、97年を最後に中断している。 中略 アナハイムでの日本の敗戦。かつてプロ野球・鑓識に所属した金城の父、晃世(60)はテレビの前で悔しがった。一方で割り切れない思いもした。息子がいなければばどっちを応援するだろう。「複雑やな」。晃世は何度もつぶやいた。 晃世は大阪で生まれ育った在日2世。日本は「お世話になっている国」と言う。「自分の国」と言えば、韓国だ。祖国の伝統は大切にする。法事には必ず子供たちも出席させた。自らは国籍を日本に変えることはないが、子供たちには本人の判断に任せた。 金城は首位打者と新人王を獲得した00年に結婚。その後、日本国籍を取得した。「ずっと日本に住むし、子どももいる。絶対、そっちの方がいい、と」韓国に連敗した3日後。準決勝で日本は三たび韓国と対戦し、完勝した。「日本代表の一人として世界の舞台で戦えることがうれしかった」と、金城は言う。それでもなお、日本人になりきれない自分を見つめる。 「血はやっぱり韓国人だから」 今も帰省すれば、母の韓国制料理に舌鼓を打つ。伝統を受け継いでいるという意識も強い。「結局、中ぶらりんなんですよ」韓国に住む韓国人、日本に住む日本人。何の葛藤もなく「祖国」と呼べる人たちがいる。「ちょっと、うらやましい」と思う。(敬称略) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.12 22:48:16
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