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2006.11.06
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テーマ:韓国!(17288)
カテゴリ:在日関連
《「平和憲法を死守するのが在日の使命」》と遺言


1/23に記事をアップしましが、http://blogs.yahoo.co.jp/fwapy7777/24338076.html


私が、在日なのに何故、「九条」に拘るか?平和は私の名前から由来してます。そして、昨年末亡くなられた、私の尊敬する師であり先輩だった金敬得氏の、この思いがあるからです。
在日第一号弁護士、故金 敬得氏が残した遺言は、今、日本に暮らす全ての市民に命をかけて語りたかった先輩のメッセージだったと思います。

在日韓国人の故・金敬得弁護士

1/23に記事をアップしましが、http://blogs.yahoo.co.jp/fwapy7777/24338076.html


私が、在日なのに何故、「九条」に拘るか?平和は私の名前から由来してます。そして、昨年末亡くなられた、私の尊敬する師であり先輩だった金敬得氏の、この思いがあるからです。
在日第一号弁護士、故金 敬得氏が残した遺言は、今、日本に暮らす全ての市民に命をかけて語りたかった先輩のメッセージだったと思います。



在日韓国人の故・金敬得弁護士、《「平和憲法を死守するのが在日の使命」》と遺言
■故・金敬得弁護士:「海外同胞は平和憲法死守が使命」



以下は20061/25 日付の朝日新聞の抜粋です。



在日韓国人で初の弁護士で、海外同胞の人権運動に身を投じた故・金敬得(キム・ギョンドゥク)
弁護士(56)が、在日韓国人には日本の平和憲法を守る使命があるという遺言を残した。



「日本国憲法の平和主義は、植民地支配・侵略に対する反省の結果としてできた。在日韓国
人の存在は植民地支配によるものだ。ナショナリズムを克服するためには平和が何より重要
だ。在日韓国人こそ、平和憲法の体現者だ。」


胃癌で闘病生活を送ってきた故人は昨年10月、病床で事務室の職員にこのような内容を口頭
で残した。分量はA4用紙で8枚。



在日海外同胞である故人は遺言で、1976年に司法試験をパスしたが当時日本人にだけ入学
を承諾していた司法修習所が帰化を慫慂したことなど自分が経験した差別を紹介したうえで、
最近の日本社会の改憲の動きを批判的に指摘した。



金氏は、「韓国と日本、北朝鮮と日本の架け橋である在日は、平和憲法を東アジアに広げて
ゆく使命を持っている」と書き残した。



関連記事



萬物相】金敬得 2006/1/3朝鮮日報



▲金嬉老「清水署の小泉よ、忘れたわけではあるまいな。“この朝鮮人ヤローども。何をやってもだめな奴らだ”と侮辱したあの日のことを。その代価を払う時がやって来た。私の命と引き換えに答えてやろう」



  金嬉老(本名:権嬉老)の手帳には、貧困と差別の中、心の奥底に刻まれた憎しみが一杯にしたためられていた。彼はヤクザ2人を殺害し、人質をとった後、31年の受刑生活を送った。



▲力道山。本名金信洛(キム・シンラク)。シルム(韓国式相撲)で頭角を現わした彼は14歳になった1938年、日本人刑事が日本の力士に育て上げようと、日本に連れて行った。



 日本人の息子として入籍し、帰化した後、プロレスラーになった力道山は1963年、ヤクザに刺されるまで生まれ持った体格とカリスマで英雄になった。力道山の興行性を高めるため、日本の興行社は彼の履歴から朝鮮という文字を完全に抹消した。



▲先月28日に他界した金敬得(キム・ギョンドゥク)弁護士は巨大な差別を前に金嬉老式でも力道山式でもない、日本の中で韓国人として生きる道を先頭に立って開拓した人物だ。56年生まれの彼は人生の半分を徹底した日本人、半分を誰よりも熱烈的な韓国人として過ごした。



 彼は日本で生まれ育ち、司法試験に合格したが、帰化しなければ司法研修院の教育は受けられず、よって弁護士の資格も得られないとの通達を受けた。彼は「これ以上、差別から目をそむけず、むしろ堂々と韓国人として生きよう」と考えを改めた。



▲彼は1976年、朝日新聞の投稿欄で宣言した。「私はこれまで私の中の“韓国的なもの”を拒否して生きてきた。韓国語を学ぶこと自体も拒否し、道で母に会っても知らない振りをした。これからはこんな生き方はしない」



 アルバイトで母校早稲田大の庭掃きをしながら、司法当局と孤独な闘いを続け、ついには差別の壁に穴を空けた。3年後、金敬得は日本初の外国人弁護士となったのだ。



▲「日本の政策は、差別というフライパンに豆でも炒るかのように在日韓国人を入れ、負けて飛び出す人を1人ずつ同化させる政策に過ぎない」。彼の批判は強烈だった。



 従軍慰安婦の訴訟にはじまり公務員の国籍差別訴訟まで、韓国人の痛みが込められた裁判には常に彼がいた。胆道がんという重病をわずらったが、闘病生活さえ惜しんで走り回った。



 彼が生前、悔しく思っていたのは、毎年1万人ずつ増えていく海外同胞3世の帰化問題。その中でも血筋を隠すための「逃避性の帰化」だった。



 彼は、世界に類を見ない閉鎖的な日本の国籍政策と慣行が帰化を急がせているとみた。この強要される帰化の隊列が長蛇化すればする程、短くしてこの世を去った彼が惜しまれてならない。



キム・ヒョンギ論説委員 hgkim@chosun.com








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Last updated  2006.11.06 23:48:55
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