飛ばしても伸ばしても
去年の今頃は、女の子なのに髪も薄かった姪っ子が、いつの間にか、サラサラ髪のおかっぱ頭になり、「おかあさんといっしょ」を観て歌うようになりました。よ~かいしりとりしよ~か~い~・・・ろくろっくび~は、くやしそぉ~にぃ~くびをぎゅ~んと、とばし~たぁ~ここを歌うたびに、妹が顔を顰めます。正しくは、「首をぎゅーんと伸ばした」なのだそうです。『キモチ悪いよ・・・』と、訂正するのですが、姪っ子に通じる筈も無く。・・・そりゃそうだ、耳から聞いた言葉に意味と齟齬があったって、幼子に分かる筈がない。***「ちゃんと歩ける脚があるのに、歩かないで歩けなくなるなんて、僕には理解出来ないですよ!!」リハビリテーションを指導する理学療法士はそう言ったそうです。高齢者の多い外科病棟は、リハビリルームが大賑わい。皆、一様に「やらされてる」感を醸し出していて、それはチラッと見ただけでもよく分かります。又、リハビリの入院患者は、厭さの余りに激しく拒絶反応を起こすものも多く、患者の中には、怒鳴ったり、いちゃもんじみた言葉を吐くことも珍しくないのだとか。私なら、頭に来るでしょう。 短気だから、患者にがっと言っちまうかもしれない。しかし・・・この場合、理学療法士だって「言っても仕方のないこと」、と察してくれないと。私が見る限り・・・療法士はかなり頑張ってくださってはいます。患者は「神の手を持つお医者さん」と、最初は手放しで崇めていた。しかし、今は信頼関係が断裂し、私がどうとりなそうとも、もう修復不可能です。これも、仕方がない。 どんなに痛みを訴えても、筋肉を鍛えれば治る、筋肉を使うから筋肉痛は当然、と取り合わず、痛いのは、身体を動かさないから、と言うのでは、痛みで呻吟するものに、「怠けている」と言うも同然。どんなに検査しようとも、悪いデータは出て来ず、治っているはずなのに「痛い」と訴えられると、医者は、それ以上、患者を思い遣る気持ちを持た(て)ないのか、「閉鎖された空間に居る、精神的なストレスから来るもの」、で片付けようとする魂胆すら、薄く見えます。担当医はもう病室に殆ど来ない。『痛い』と、患者に訴えられても為すすべがなく、処置も出来ない。来ても、滑稽なまでに病人の居るベッドに近寄らない。身体は戸口の方を向き、首だけ巡らして「どんな調子ですか」とは、笑止千万。忙しい、を口実に、さっさと退室したい欲求がありあり。今は、治ったんだから、病院から出て行ってくれ、と言う事務方とのバトルがストレスです。・・・前もそうでしたが、医学がどんなに進歩しようと、不可能は存在し、医者と患者が分かり合うなどということは100%有り得ない。それは、どちらかがお釈迦様の如き忍耐力を要される事で、絶対不可能です。小さな子は、いずれ「飛ばす」と、「伸ばす」の違いを知りましょう。自分で察し、吸収し、人との距離も学んでゆけましょう。どんな事でも、最初は忍耐を持って当たるでしょう。しかし、事対人関係において、人生におけるスキルをもはや伸ばすつもりも無ければ、伸び代も無い状態の大人は、相手を密かに非難し、表ではおもねり、引き攣った笑顔でいなすしかない。最早歩み寄る意志がからっきし無くても。医者と患者も同じ事。・・・私とて同じ事。 ・・・ああ、なんて不毛なんだろう。医療の現場は、知っている以上に、ずっとずっと殺伐としているようです。