四十年ぶりの生まれ故郷を訪ねて その二
サッカーワールドカップの予想は見事に外れたね。(^^ゞ世の中何が起こるか分からないことの典型的なパターンだよ。ともかくサッカー命、サッカーが日常生活の精神状態を左右する御仁にとってはよかったね。さて、中松江の駅前には商店も何もなく、道幅の狭い道路が交差していた。僅か五十メートルほど歩くと僕が通っていた幼稚園が今もまだあった。記憶に残っている幼稚園はもう少し大きかったが、何から何まで小さく狭く感じるのは、僕の体がここに住んでいた当時より少なくとも三倍くらいの大きさになっているからだろう。右に曲がって少し行くと、昔は往還と言っていた道路に当たった。今では車一台が通るのがやっとの道幅だ。それを昔は往還と言っていた。トラックも通っていたのを思い出す。この往還で、確か僕が幼稚園の頃に交通事故があって、跳ねられた子供の頭が潰れてしまって、道路沿いに当時あった外科医院へ担ぎ込まれた。子供の僕は手当てをする医者を少し離れたところから、じっと息を凝らして見ていた。綿が真っ赤に染まり、その子供は死んだ。往還をゆっくり歩いた。昔とほとんど変わっていないことに驚きを感じた。同級生の女の子の家がまだあった。建物は昔と変わっていない。おそらく築五十年近く経過しているだろう。少し歩くと外科医院はなくなっていたが、同じ姓の表札が掛かっていたから息子さんの代になっていると思われた。そのお宅の前の、昔は小さな菓子屋だったところは大きな屋敷に変わっていた。表札には昔と同じ姓が書かれていたので、ここも代が変わっても引き続き住んでいるようだ。さらに歩を進めると、懐かしいお寺の門が見えてきた。寂○寺だ。このお寺の入り口の大きな門でよく遊んだ。どんな遊びをしたのかはサッパリ憶えていないが。しかし、この往還をさっきから誰も歩いていないし、車も自転車も通らない。人っ子一人いない。一体どうなっているのだろう?寂○寺の向かいには、僕が昔頭に大怪我をした時に応急処置をしてくれたタバコ屋さんがあるはずだった。ところが、そのタバコやさんは看板はあるが商品はなく、誰も住んでいる様子はなかった。この横の路地を入ると、僕が生まれ育った家がある。勿論今はもう建て替わっているだろうが。しかし誰も人間の姿が見えない。そしてさっきまであんなに快晴だったのに、雲が出てきてあたりは暗くなってきた。風も強くなってきた・・・。そして振り向くと寂○寺の門のところに、白い着物を着た髪の長い女性が立っていた。「小夜ちゃん」っと僕は小さくつぶやいた。つづく・・・。