象の背中
これは映画を観た上での感想です。・・・実は最後まで観ていないのですが。クアラルンプールからの帰途の飛行機で観た『象の背中』。そして最後5分くらいのところで切れてしまった。題名だけはよく耳にしていたが、癌患者の話だとは知らなかった。途中まで観た感想ではあるが。原作は秋元康氏。役所氏が演じる癌患者が人生の最後を家族と・・・紹介文に合った。映画が始まってすぐ癌の告知を受ける主人公。主人公は家族に話す前に愛人宅に行き告白する。家族愛の話だと思ったのに愛人がいるんだ、と意外に思う。後からネットで調べたらこの映画についての感想は真っ二つ。秋元がファンタジーと言っているこの主人公、主婦の人などには酷く受けが悪い。辛い思いをするのは短い方がいいという理由で、主人公は妻には告白しない。だが人生を振り返り、告白せずにいた初恋の相手、喧嘩別れした仲の良い友人などに会いに行き、当時の思いと共に自分が癌である事も告白する。私が友人の立場だったら、、、告白された方が好ましい。和解が出来た上、大切な彼の苦しみを感じたいと思うから。ただ中学を卒業して以来あってもいない異性の同級生ならば戸惑うだろう。妻は苦しめたくないと思慮する人なのに初恋の相手にはと不思議だが人間理屈どおりには行かないというい事か。もし妻の立場なら一緒に苦しめない事を悲しく思うだろう。抱えきれない大きな荷物を二人で抱えても同じ重さなのだろうけれどもそれでも手ぶらで歩いていた自分を後から知るのは辛いだろう。愛人とは別れるのかと思いきやホスピスに入ってからも愛人に電話し『顔をみたい』と言っている。妻が看病している病室でバッティングする可能性大なのにも関わらず。そしてこの主人公、至って生真面目な人間なのだ、不思議。会いに行かないと言っていた愛人も、ただの仕事関係の人ということでホスピスにお見舞いにやってくる。居合わせた妻は勿論その関係に気づく。女二人は相手を恨むでも憎むでもなく、かといって自分を卑下するわけでもなくまたまた不思議。いい男見つけて幸せになる!と言っていた愛人、まあ普通そう言うだろう。主人公は自分の兄に自分が死んだら自分の骨をその愛人にあげて、と言う。???いくら好きでも骨貰うのって困らない?次の幸せ見つけようって言っているに。また家族の生活費を何十年分も計算して足りない分は放棄した遺産を兄に催促しに行く主人公が、自立している愛人にしてあげられるは骨をあげる事なのだろうか。ネットで調べてこれも謎が解ける。原作では、この世で一緒になれないならあなたの骨を食べて一緒になりたいとの記述があったようだ。結局観られなかった主人公が亡くなる場面では、生まれ変わってもまたプロポーズしてくれますか?と妻が訊ねるらしい。もしそうなら愛人がいた事に腹も立てず、または自分は愛されていないのでは?至らないのでは?と落ち込みもしない妻がいる事が凄いと思うのでした。