正月中だったので追悼記事の掲載をせずに来た。上元を過ぎたのでここに私がご交誼を賜ったお二方を追悼する。画家・池田龍雄氏と小説家・花輪莞爾氏とである。
池田龍雄氏が昨年11月に92歳で亡くなられた。
私が池田龍雄氏にお目にかかったのは、私がようやくイラストレーターとして出版社から執筆依頼されるようになった頃だった。1978年8月14日のことである。その前日に、私のエディトリアル・イラストレーション展『山田維史 黒の世界』が、京橋の「近代美術画廊」で開催したばかりだった。画廊の依頼で急遽決まった画廊企画展で、私は取る物も取り敢えずという感じで、雑誌や単行本に描いたモノクロームの挿画を展示した。まったく宣伝もできなかったのだが、どこでお知りになったのか、池田龍雄氏が会場を訪れてくださったのである。もちろん私は初対面であった。そればかりではない。駆け出し同然の私としては、法学部の学生であったころころから異才鬼才のグループ(?)の中のお一人として畏敬していた高名な画家が、わざわざ御足を運びくださるとは思ってもいなかった。池田氏と私は会場内の応接用の椅子に掛けてしばらくお話した。私はたぶん年甲斐もなく上がっていたかもしれない。せっかくの初対面なのに何をお聞かせくださったか憶えていないのだ。
その後、何度か池田氏からお葉書を頂戴した。氏の「ブラフマン」連作が開始されるころである。
訃報に接して、初対面のときの展覧会の芳名帖を資料函から出し、42年前を思い出していた。
花輪莞爾氏が亡くなられたと御子息が知らせてくださった。享年86。
小説家であり国学院大学教授であった花輪莞爾氏からは長い交誼を賜った。1982年からなので38年間になる。私が現在地に移転するまでは花輪邸のご近所といってもよい地に住んでいた。自転車で5分ほど。何度かお宅に伺い、いつも御夫妻から歓待された。
最初にお目にかかったのは、大学の語学副読本を主に出版していた今は無い行人社のフランス語担当の編集者・浅沼氏が、花輪氏を同道して我が茅屋を訪ねて来られたときである。花輪氏の短編小説集『悪夢名画劇場』の造本(装釘装画を含むブックデザインのすべて)をやってくれないかというのである。じつはそれ以前に私は、浅沼氏の依頼で生田耕筰氏が大学でお使いになるフランス語副読本の表紙画を描いたり、ドイツ語や英語担当の編集者から同様の依頼を受けていた。浅沼氏とはいわば旧知だった。そんなわけで浅沼氏(早くに故人となられた)は、花輪莞爾氏と私とを引き合わせたのである。
以後、花輪氏は私を「バケモノのような人だ」と言っておもしろがってくださり、私も花輪莞爾を「バケモノのような人だ」と言い返して、時に夜中に長電話で言い合っていた。
また、こんなことも言われた。御母堂が亡くなられ、私はその日の朝刊で知り、急いで葬儀会場へ伺った。会場入口の弔香台に立ったときだった、遠く式場内で終始うつむいて読経をお聴きになっていらした御夫妻が、はっとしたように同時にお顔をあげられ、入口にいた私に向かって会釈された。後日、そのことを御夫妻は、「あなたが来てくださったのが分かった。入口から光が押し寄せて来たのを感じた。あなたが来てくださることを私たちは知らなかった。われわれ二人がまるで申し合わせたように顔をあげて、あなたを見た」。私が、「まさかそんなこと・・・」と恐縮すると、奥様がすかさず「ほんとうなのよ。大勢の弔問があったけれど、あなただけよ、あんな経験をしたのは」。
そして御夫妻は私の油彩画のコレクターでもあった。花輪邸の玄関内や別邸に、4点の作品を所蔵してくださっていた。それらは私の若い時代の代表作と自称している絵である。
じつは花輪作品本の装釘装画として描いた絵は、海外でも高く評価されていた。スイスのグラフィス社が刊行している、世界60数カ国からプロフェッショナル・グラフィックアーチストが実際に商業的に使用した作品の優作を、2年度毎に収録した大判の書籍に選定されたり、あるいはアメリカの画廊の企画展で褒章を受けている。あるいはカナダのグラフィック誌から授賞されてもいる。・・・花輪莞爾という小説家は、私にとって描きながら「のれる」作家だったのかもしれない。一切口出しをしない。描いた絵を御夫妻で共に大喜びしてくださる。
陶磁器や漆器に対する私の鑑識眼を高く評価してくださっていた。私がお宅に遊びに行き御茶をいただく。その茶碗は見事な鬼萩だった。或る日、電話がかかってきて、「ちょっとウチに来ていただけないか」と言う。何事かと自転車で駆けつけると、美術商が来ていた。10点ほどのタンカ(曼荼羅絵)を持参していた。花輪氏はそのなかから1点を購入したいのだが、非常に高価だ。それで私に選んでくれと言うのだった。
また或る日、会ってコーヒーを呑もうということになり、待ち合わせの場所に立っていると、花輪氏はすばらしいオーヴァーコートを着て現われた。なんとも言えない美しいモスグリーンの色合い。オーソドックスなスタイルのようでありながら非常に品の良いデザインフォルムだった。「すばらしいコートをお召しですねー!」と私が言うと、「あなただけだよ、このコートに目をつけて褒めてくれたのは。あいかわらず鋭い人だねー。じつは◯◯さんのデザインなんだ」と、ある高名なファションデザイナーの名前を言った。そしてちょっと嬉しそうにはにかんだ。花輪莞爾は・・・そういう人だった。
我家の玄関内に、御夫妻から贈られた大層大きな鏡を壁に掛けてある。