日本にやってきた観光客は、その多くが訪問地で経験した親切や優しさを語る。
すべての日本人が親切で優しいわけではない。現に私は、電車の中で日本人の乗客からヘイトスピーチ攻撃されている欧米系の女性を救い、さらに別の日にアジア系の女性を救ったことがある。特定の個人を標的にしていなくても、人種的偏見をぬぐいきれない日本人が集団を形成してヘイト・スピーチを繰り返しているのは、まったく稀ではない。彼らに正統な理があるわけではないのは、たとえば、コロナウィルス禍により海外からの観光客がゼロにちかいほど激減した途端に、地域経済は壊滅状態になった。理知のない人種主義のヘイト言行などしている場合ではないことを気付かなければならないのだ。
しかしながら、そのような日本の恥を晒している、井の中の蛙のような日本人が、愚かに跳梁跋扈しているにもかかわらず、日本人の無償の親切心と優しさはたしかに世界の多くの人々の意識にかたちづくられてきた。
「世界市民」として互いに手をとりあってゆく・・・「困ったときは相見互い」「あすは我身」、そんな世知を日本人は文化として育んできた。・・・はずであった。けれどもたったいま国会で成立した『入国管理難民法(改正案)』は、せっかく市民レベルで世界にアピールしてきた「外国人に対する日本人の親切と優しさ」を、完全にくつがえしてしまった。
私はいかなる政党にも組しないし、その意味ではまったく政治的人間ではない。それでも、この法案の審議過程においては、「この改正法が成立すれば難民申請者が強制送還され、投獄、拷問、虐殺されることになり、この改正法は人の命を奪う法律になるであろう」という主旨の、立憲党と共産党の反対主張は正しいと思った。他国におけることではあるが、強制送還された難民が屠殺場に送られた動物のように虐殺された事例を,私も聞いているからだ。戦争難民、政治難民、経済難民等、各人事情は違うであろうが、自国がそのような国であるからこそ難民として命からがら脱出したはずだ。しかも日本を頼ってたどりつくのは、陸つづきの周辺国へ逃れるのとは異なりその道程に一層の困難さがあるだろう。しかしながら両党の主張は、最終的には、渋々だかあっさりだか知らぬが、頽れてしまった。どうやら彼らの主張は本気で日本の「世界市民」たることの法的アピールではなく、党利党略による反対のための反対であったらしい。
この『入国管理難民法』は、国内法ではあるが、世界各国の人を相手にしているので、じつはきわめて重要な法律のひとつであるがずだ。さらでだに入国管理施設における被収容者の死亡事件はあとをたたない。人権侵害もとおりこして、まるで不作為殺人と言いたくなるような悲惨な事件がおこっている。事件がおこるたびに「今後このようなことがないようにする」とか何とか言うが、被収容者をはじめから人と思わないかのような対応をしているということは、入国管理官や諸々の関係職員の人格に深く根ざした傲慢があるからではないか。入管「常勤」の医者が勤務中に酒に酔って女性収容者を診察したなどは、呆れたではすまされない。このような勤務状態が常体化していたのではないか。そしてとりもなおさず我が立法府(国会・衆参議員)の堕落であろう。そのような人物を選出した我々日本人の堕落であろう。
私は、『入国管理難民法改正法』は、改悪されただけでなく、人種差別思想と棄民思想が潜在する人間的に堕落した法律であると思う。