アメリカの歌手トニー・ベネット氏が亡くなったそうだ。享年96。
1962年に ”I Left My Heart in San Francisco" を歌い、日本では『霧のサンフランシスコ』という題名でヒットした。作詞はダグラス・クロス、作曲はジョージ・コリー。もともとは1954年にオペラ歌手クララメ・ターナーがうたったのだが、トニー・ベネット氏によって世界的に知られるようになった。
私は15年前、2008年12月12日のこのブログに『霧に対する感性の考察』と題した小論を書いた。そのなかで "I Left My Heart in San Francisco (霧のサンフランシスコ)" について少し触れた。その邦題とは案に相違して、日本人が霧に対するような感性は英語の原詩にはないと述べた。たしかに2番の歌詞には "fog" という一語が出てくる。そして、恋の歌にはちがいないが、たとえば石原裕次郎の『夜霧よ今夜もありがとう』のような甘いロマンチックな気分は霧に対してはまったくなく、むしろその気分とは逆である。
その原詩の2番を書き写してみよう。冒頭の2行である。そしてそれにつづく最後の詩句も。そこにおいて霧は、否定的イメージであることがわかる。
The morning fog may chill the air, I don't care
My love waits there in San Francisco
・・・・・・・
Your golden sun will shine for me
(朝霧が空気を凍えさせているかもしれない、僕は気にしない
愛するひとがサンフランシスコのそこに待っている
・・・・・・・
あなたの金色の太陽が僕のために輝くだろう)
トニー・ベネット氏の『霧のサンフランシスコ』が日本でヒットしたとき、私は高校生だった。私は「I left my heart in San Francisco. High on a hill, it calls to me.」とくちずさんでいた。60年前のことだ。
トニー・ベネット氏を追悼します。