「虚仮の一念」とは、言うまでもないとは思うが、愚か者がみずからの愚かな主張に気づかずに無理やり押し通すことだ。あるいは、愚かさや判断ミスに気がついても自尊心や私利私欲のために他の意見を拒否して主張を押し通す。あるいは詭弁を弄したり詐術を用いたり更なる愚かな画策を付加する。・・・これらの所業はみな「虚仮の一念」である。
さて、岸田政権はまさに「虚仮の一念」の政治と私は言おう。
マイナンバーカードをめぐる諸々の良からぬ問題の発生とそれへの対応は、マイナンバーカードという制度のそもそも人間性否定的であることを考察をすることなく、前方に据えた軽薄な決定論を後追いで制度化しようとしている。
この制度は哲学的には人倫に反する問題を含んでいる。尊厳ある個人に番号をつけること・・・姓名を剥いで、焼印を押すのと変わりない制度を発想する精神と思考の歪みを、私は指摘する。人間の尊厳を否定して成り立つ社会の利便性とは、いったい何だろう?
先日、岸田首相はマスコミの記者から自身はマイナンバーカードを持っているかと質問され、「ノーコメント」と答えた。語るに落ちたとはこのことだ。持っているなら、「持っている」と応えてそれで済むはずだ。マイナンバーカード制度の推進者として当然、そう答えなければならなかったはずだ。
この記者会見のほんの短いやりとりが意味したことは、権力を振るう岸田氏のいいかげんさと、この制度自体に現時点のみならず将来的にも危険をはらんでいることの明証にほかならない。
いま問題となっている健康保険証の廃止政策に関しては、国民皆保険制度のもとで利用者層をきわめて限定的に抽出して立案してはいないか。非常にはばひろい年齢層というにとどまらず様々な病者の状況を、単純に一律化してはいないか。そして国民の健康と現実的な病態に対する重要な福祉制度を、ディジタルAIの脆弱性に全面的に託していないか。
こうした問題は、ディジタル担当大臣の沽券の問題ではない。
地方政治に目を移せば、大阪府は万博のパビリオン建設の申請が皆無で、2025年の開催までに会場建設が間に合わない事態となっているという。
この問題に対して、会場建設工事の残業規制を廃止してしまおうという企てがあるようだ。この規制法を廃止してしまえば、工事労働者を働かせたいだけ働かすことができる・・・というわけだ。残業規制廃止画策者は、稼ぎたい人は働きたいだけ働けるとする説明が予想できるが。・・・ここにも「虚仮の一念」がある。万博を決定した政治屋の沽券、あるいは利権屋の悪巧みである。あわてて行政面の帳尻合わせをするはかりごとである。
国政のみならず地方政治においても、「虚仮の一念」は願い下げにしなければならない。