半年に一回、すなわち年に2回、自主的に健康検診を受診している。今朝、今年2回目の健康診断をしてもらうために主治医のクリニックに行った。血液検査の結果が出るのは後日になるが、心肺機能は正常。腹も正常。
下肢を触診した主治医が、私の下腿三頭筋が発達しているのであらためて驚いていた。これは坂道を自転車で上り下りし、また、買い物などにも自転車で遠出するからだろう。
主治医に驚かれはしたが、齢とともに脚力が衰えてきていることは充分自覚している。私は自分の身体について過小評価はしないが、過大評価もしない。していないつまりだ。
歳をとるということの実態は、若い時にはどんなに想像力をはたらかせても解らないものだ (*)。そういうことに私は気づいている。自分の肉体でありながら、その時にならないと、(ややおおげさな言い方だが)時々刻々、日々歳々の老化を実態として認識できない。このことは見方を変えると、歳をとることが自己の新しい発見なのだ。自己観察力と鋭敏な感覚は必要かもしれないが、このような自己認識は若い時にはない(なかった)のではあるまいか。・・・画家として一貫して人間を見てきた私には、おもしろい気づきである。
【*註】たとえば、私が民生委員だったときに、市が主催する「町づくり」の会議に出席して気づいた。高齢者が住みやすい町をめざしながらも、政策担当者が全員若いため、高齢者の身体的な実態から遠い構想となるのだ。日常的に利用する各施設等を、車を運転しなければいけないような場所に構想するなどだ。しかも「フレイル」などと英語で政策を広報するバカバカしさ。