グリム童話に「靴屋と小人(あるいは、小人の靴屋)」という物語があった。貧しい靴屋が、たった一足分持っていた革を、翌日の仕事のために裁断して、眠りにつく。翌朝、仕事にとりかかろうとすると、すでに靴が一足できあがっていた。その見事なできばえに、客が普段の2倍の金で買っていった。その金で靴屋は2足分の革を仕入れ、翌日の仕事の準備をして就寝した。翌朝、こんどは2足のみごとな靴ができあがっていた。・・・こうして靴屋は次第に裕福になっていったが、いったい誰が夜中に靴を作ってくれているのだろう。靴屋夫婦はこっそり見張っていると、裸の小人があらわれてせっせと靴を作っているではないか・・・
この物語は、さしずめ日本の民話「藁しべ長者」と同じような系列であろう。しかし私が「小人の靴屋」をひょいと思い出したのは、じつは童話や民話とは直接関係がない。
昨日9日のCNNが、「ネズミが毎晩作業場の片づけ」と題してその現場を捉えたロンドン発の動画を掲載していた。「ほぼ毎晩、自分の作業場を片づけてくれるのは誰なのか。その謎を解くためにカメラを仕掛けた英ウェールズのロドニー・ホルブルックさんは、映像を見て目を疑った」、とCNNはつづる。ネズミは作業台の上を走り回って、散らかっていた工具などを箱の中に入れていたのである。
CNN「ネズミが毎晩作業場の片づけ」
このネズミの「考え」を知ることはできないが、小動物・・・犬や猫、あるいはカワウソやその他の動物が、巣を新しくしたとき、自分のお気に入りの物を新居に運び入れることはままある。飼い犬や飼い猫だと、ぬいぐるみ等を引っ越し荷物として運ぶ。あるいは営巣のためならば、多くの動物が、その資材として人間が捨てた物をせっせと運ぶのは衆知である。
動物たちのこのような行動は人間の「物欲」と同じであるか違うのか。あるいは視点を変えて、人間の物欲のオリジン(発端・起源)と見做せるかどうか。あるいはまた、すべからく生物の愛情・愛着の本能と見做すべきか。
ホルブルックさんの作業台にあらわれるネズミは、散らかった工具を食べ物と思っているわけでもなさそうだし、巣を作ろうとしているのでもなさそうだ。まさに「片づけて」いるのだとしたら・・・私は「靴屋と小人」を連想し、しばしネズミくんの物語を発展させておもしろがっていた。