舞踏家・天児牛大氏が3月25日に亡くなられたという。享年74。
天児氏は舞踏集団「大駱駝艦」から独立して1975年にご自身が主宰する「山海塾」旗揚げした。・・この名称は、山海経から採ったのではないだろうか。・・私は、たしか旗揚げ後の2回目の公演だったはずだが、「金柑少年」(1978)を観ている。その踊りの半ばで、餞に出演した「大駱駝艦」主宰の麿赤兒氏と天児牛大氏はデュオを踊った。この場面に私は室町天台でほぼ成立した秘儀稚児灌頂を連想した。この連想におそらく過誤はあるまい。氏は活動拠点をフランスに移されたが、その後の活躍を見ながら私は、天児牛大氏は宇宙的精神性を形象化しようとしているのではないかと思った。あるいは宇宙の「ゆらぎ」を。その私の見方が正鵠を射ているとしたら、大野一雄、土方巽、そして麿赤兒等の暗黒舞踏派の踊りが日本の民族文化やその土着の身体性にあったことからは、いささかならず異なった地平に向かっていたのではなかろうか。・・・いや、私が独り合点して、私の好むところとしたのかもしれない。私は1970年の深夜、突然出現した冗談のような「卵」のイメージに捉われ、卵形象徴を研究し、卵形出現の絵をシリーズで20年間ほど制作していた。天児牛大氏はフランスで1986年「卵熱」をプロデュースされ、翌1987年には福田巌氏撮影の舞踏写真集「卵を立てることから」を発表された。「卵を立てる」というのは、もしかすると「コロンブスの卵」に依拠する言葉かもしれないが、それはともかく、私は勝手に我が意を得たりと思ったものだ。
天児牛大氏を追悼いたします。