79年前の8月9日以後、東長崎地区でいわゆる原爆後の黒い雨によって被爆し、以来、病苦や生活に支障を来して苦しんで来た人たちが、国による救済(被爆者手帳の交付)を求めた訴訟で、長崎地裁(松永晋介裁判長)は本日、原告44名(内4名はすでに死亡)のうち15名(内2名死亡)に対し、被爆体験者と認める判決を下した。
東長崎地区は国の被爆地指定区域外にあり、79年間というもの国は被爆地に線引きし、この地区で被爆したことを訴える人たちの請願をかたくなに拒否してきた。被爆によって苦しむ国民をむしろ率先して探し出して救済すべきであったであろうに、「嘘を言っているのではないか?」という猜疑心によって、被爆者をまるで「たかり」か何かのように、無策のまま頰かぶりしてきた。日本の政治の根底に抜きがたく存在する棄民思想の表立った一例である。そのことはこのたびの訴訟原告を被爆者ではなく「被爆体験者」と称し、44名全員の救済ではなく、差別的な線引きをした地裁判決にもあらわれている。「被爆体験者」とはいったい何であるか? 被爆者とはどのように異なるのか? まったく理解に苦しむ造語である。その造語に添って、それでは「被爆を体験した者」はなぜ「被爆者」ではないのか。・・・言葉遊びをしているとしか思えない。いや、むしろそのような造語による政策で事を処理する知性を疑う。その政策を鵜呑みにした長崎地裁松永法廷の知性を疑う。そしてこの判決によって原告が救済されたと喜ぶのは早計であるかもしれない。なぜなら、この判決によって被爆者手帳の交付を拒否された29名は、被爆の苦しみに加えて差別された意識に苦しむであろう。それは被爆手帳交付を認められた15名にしても、他の差別の上に我が身が救済されたという意識に苦しむであろうからだ。原告44名は長い年月、共に闘ってきたからである。
この地裁判決がそのまま確定するか否かは、今後の原告・被告両者が控訴するかどうか、そしてなによりも国の出方による。
さて、今、すべてとは言はないが、日本の政治家は堕ちるところまで堕ちている、と私は思う。国会議員のみならず、「ゥヒョ〜誤見の痴事」のように露見はしないものの、病的ナルシシズと政治活動とが混濁してしまっている地方政治家もいる。上に立つ者の人格の卑しさは必ずや下へ波及するものだ。われら日本獅子の心中の虫が今の政治家である。国民を舐めていないで、servantになりなさい、政治を志す諸君よ! 国民が選んでいるのは、偉ぶる人ではなく、国民に奉仕する人だ。