カテゴリ:緑のおっさん
おっさんはしばらく一人で喋っていた。 「しっかしあれだのー、こうも毎日暑いとたまらんなぁ」とか、 「エアコンちゅうのは涼しくてええのぉ。ここならよく眠れそうや」とか。 他の人にはおっさんの声は聞こえていないから、私が一緒になって会話するわけにはいかなかった。もっとも最初から相手にする気はなかったけれど。何者なのか正体は気になるけれど、気味が悪くて関わりたくないという気持ちの方が強かった。 なるべくおっさんから気を逸らしていたくて、窓の外に目を向けた。ほの暗いバスの窓ガラスから見る景色は、建物の壁やアスファルトの照り返しが強調されて、何もかもがギラギラと際立って見えた。 「ん?」 しばらくして、おっさんの声がしていないことに気が付いた。隣の席を見ても、おっさんの姿がない。慌てて辺りを見回してみたが、どこにもいない。 消えた? それとも初めからいなかった? やっぱり私の幻覚だろうか。幻覚でなければ、妖怪、幽霊、宇宙人・・・。ダメだ、分っかんない。分かるはずがない。何だったのだろう。不安とも恐怖とも言いようのないザラザラしたものが私の胸をざわつかせた。 バスを降りたら翔太に電話しよう・・・と思った途端、いらないことを思い出してしまった。翔太は今頃、彼女と一緒にいるのだ。そんなところへ電話なんてできない。電話して、彼女と一緒だから後にしてって言われても、話し中で繋がらなくても、電池切れとか電源が入っていないとか、電波の届かないところにいるってアナウンスされても、仮にメールやLINEにしたところで、すぐに返事が来なければ、すぐに返事が来たとしても素っ気なかったら・・・どれもこれも私をいっそう空しくさせそうな気がした。 さっきおっさんは「失恋したか」って言ったけれど、そうじゃない。翔太に対する気持ちは恋ではない。私たちは仲の良い幼馴染、それだけ。ただそれだけだけど、その関係が崩れていきそうで嫌だった。寂しかった。怖かった。 でももっと嫌なのは、こんなことに落ち込んでいる自分だった。翔太が悪い訳でも、彼女が悪い訳でもないのに、翔太のことも彼女ことも恨んでしまいそうな自分。ダメだ、自己嫌悪。 翔太のことは考えないようにしよう。 こうなりゃ気を紛らわすためにも、徹底的にさっきの小さいおっさんの正体を追及してやる。だいたいおっさんは、自分のことを「追い追い話す」って言ってなかったっけ? それなのに、どこへ消えたの? 「市立図書館前、市立図書館前。お降りの際はお忘れ物のないようご注意ください」 家に一番近いバス停まではあと二つあるけれど、私はそこでバスを降りて図書館に向かった。 「パソコン、借りていいですか?」 「ではこちらの用紙にご記入ください」 ネットで調べれば、同じような体験をした人の書き込みもあるかもしれないし、きっと何か分かるに違いない。私は貸出カウンターで手続きをして、館内にあるパソコンの前に座った。パソコンの電源を入れると、静まり返った館内にブゥンをいう機械音が小さく響いた。 早速、検索してみようと思ったが、何て検索すればいいのか分からない。仕方がないので素直に「小さいおじさん」と入力してみた。
すると驚いたことに「小さいおじさん」に関する情報は、ネット上に溢れていた。どうやら都市伝説になっているらしい。何人ものタレントや有名人が見たとか、ストラップが発売されているとか。 じゃあ本当に存在しているの? 見ると幸せになるとも書かれているけれど、そうなの? さらに混乱してきた頭で先を読む。 『何らかの未確認生物の可能性はあるが、実際には肉体および精神的な疲労などを原因とする幻覚と指摘されている。』 ああ、やっぱり。やっぱりそうだよね。 他のサイトにもだいたい同じようなことが書いてあった。かなり胡散臭いものもあったけれど、中には私が見たのと同じ「緑色のジャージ」を着ていたというものもあって驚いた。会ったことも見たこともない人が、自分と同じような幻覚を見たという奇跡的な偶然の一致。こんなことってあるの? あれは本当に幻覚? あんなにリアルに動いて、喋っていたのに。 幻覚と決めつけて、安心しようとしている自分と、幻覚ではない証拠が見つからずにがっかりしている自分、その両方が私の中で混在していた。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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