日常の中の超現実と、非日常の中の現実
今日、叔母の葬儀が滞りなく執り行われました。叔母は、小さな骨片の集まりとなってしまいました。誰でも最後には行き着く姿とはいえ、無常感を感じずにはいられません。コレまで何度も経験したことなのにネ。葬儀の後の振る舞いの会場は、さながら老人ホームの宴会のようでした。だって、私の父の世代が集まったんですものね。昨夜の通夜振る舞いの時は、まだ、子や孫の世代が大勢いたんですけどね。私は同じ円卓に座っている、父と何番目かの叔父と本家の叔母の世話をして。昔は、怒ると拳骨が飛んできて怖かった父、お調子者で元気だった叔父(今もか)。その人たちと、子供に諭すように話している自分がいる。コレが、現実。全て終わった後、母の病院に行きました。母は少しはめまいの症状が改善したものの、ここ数日夜になると38度から39度の発熱があるとかで。いったいどうしたものか。その母が、病院で不思議な体験をしたそうです。いわゆる、霊関係?みたいな?で、あんまり気持ち悪くて、看護師さんを呼んだのだそうです。きっと言っても信じてはもらえないだろうと思っていた母は、看護師さんの言葉に更に鳥肌が立ったそうで。「ああ、そうですかあ。最近はそういうこと無かったんですけどねー」「じゃあ、ベッド周りのカーテン開けておきましょうか」看護師さんは、当り前のように言って去っていったとか。それが、16日盆明けの深夜のこと。ん?でも日付が変わってるから17日になるのか?母には「きっと、ただ通り過ぎて行っただけだと思うから、あんまり気にしないほうがいいよ」とは言いました。本人、それほど気にしてないみたいですが。いや、まあ、そういうことを考え始めたら、どんどんはまってしまうので、止めましょう。私も溜まった疲れを癒して、早く次の仕事探しに行かなければ。