|
テーマ:洋楽(3396)
カテゴリ:70年代洋楽
バンドのデビューは'69年。前身バンドであったサイレンスに、イアン・ハンターが加入した事からモットの歴史が始まる。 「歌えてピアノの弾ける男求む」というオーディションにやってきたハンターは、ボブ・ディランの信奉者で、そのヴォーカル・スタイルはディランの影響丸出し。オーディションも実際にディランの曲を歌って合格したという。 作家のウィラード・メイナスの小説に出てくるキャラクターから名を取って、バンドはモット・ザ・フープルと改名。アイランドレコードからデビューし、'71年までに4枚のアルバムを発表した。 だがセールスは伸び悩み、メンバー間のゴタゴタなどもあって、バンドは解散寸前に追い込まれる。そこに手を差し伸べたのが当時スターダムに昇りつつあったデヴィッド・ボウイだった。ボウイはかねてからの彼らのファンで、「力になる事を約束するから解散はするな」と言ったという。 ボウイは最初、自分の作品「Suffragette City」(ボウイのアルバム『ジギー・スターダストに収録』)を提供しようとした。だがイアン・ハンターはこれを拒否。 ボウイはよりキャッチーな「All The Young Dudes」を提供する事にした。歌詞にビートルズやローリング・ストーンズも登場するミディアム・テンポのロック賛歌で、ボウイ自身、当時のステージで歌っている事からも自信作であった事が伺える(後に本人によるスタジオ・テイクも発表された)。 プロデュースもボウイが担当(自らもレコーディングに参加している)。レコード会社移籍後の第一弾シングルとして'72年の夏に発表された。 バンドの個性とボウイの相性はピッタリだった。 独特のヌメリとディラン風の節回しを持った、イアン・ハンターの歌声。 心地良く歪んだミック・ラルフスのギター(柔らかいアコースティックギターも○)。 プロコル・ハルムを彷彿させる味わい深いオルガン。 そして、ボウイのポップセンスが光るメロディ・ライン。華やかなコーラスとハンド・クラッピングで盛り上がるサビの部分は、思わず一緒に歌っちゃう。 ストーンズ、ディラン、ボウイのエッセンスを一気にぶち込んで、それをさらにポップにした素晴らしい仕上がりで、結果、全英3位、全米でもTOP40に入るヒットを記録。 モットのみならず、ボウイのキャリアにおいても重要な一曲となった。 この曲および同名アルバムのみでバンドはボウイから離れるが、イアン・ハンターとのつき合いは続いていたようで、フレディー・マーキュリーの追悼コンサート('92年)では、ハンターとボウイが同じステージに上がって、この曲が演奏された。 モットはこの曲のヒットによってスターダムにのし上がるが、皮肉にもメンバーが次々と離脱。'74年のイアン・ハンターの脱退によりバンドは事実上の終焉を迎えた。 その全盛期は短かったものの、後の世代に与えた影響は大きく、クイーンの曲「Now I'm Here」の歌詞にはモットが登場していたり、クラッシュは2ndアルバムで「全ての若きパンクスども」なんて曲を収録していたりする。'96年にはブライアン・メイやハイロウズが参加したトリビュート・アルバムも作られた。 この曲が収められている同名アルバムを始めとして、「Mott(革命)」(1973)、「Hoople(ロックンロール黄金時代)」(1974)、「Mott The Hoople Live」(1974)などの諸作品は全てが傑作。 オイラは今も昔もモットが大好きさ。 イアン・ハンターはソロになってからも「双子座の伝説」「バイオレンスの煽動者」などの傑作を発表。ロックン・ロールのカリスマとして現在でも勢力的に活動している。 ミック・ラルフスはその後、Bad Companyに参加。 後期メンバーであったモーガン・フィッシャーは現在日本在住で、なんと2007年には映画「神童」に俳優として出演している。 つーコトで、「All The Young Dudes」を聴くにはここをクリック! すべての若き野郎どもよ、モットを聴け! ※ポム・スフレのメインHPではモット・ザ・フープルの名盤「Mott」について取り上げています! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[70年代洋楽] カテゴリの最新記事
|