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テーマ:闘病日記(4014)
カテゴリ:脳死肝移植の経緯・妊娠出産
妊娠後のおたふく及び感染症の疑いが晴れず、検査を続けていた。
6日に帝王切開にて出産後、母子共に個室隔離をされ、その夜から 同室にて実家の母が一緒に寝泊りしてくれることになった。 最初は私自身が身動きできないため、赤ちゃんの世話は夜中も母が 起きてミルクをあげてくれる状態。。。 結局、6,7,8日と実家の母が、そして9,10,11日は主人が 一緒に病室に泊まり、代わって私と赤ちゃんの世話をしてくれていた。 本当に大変だっただろうと思うが、看護師さんたちにはお願いできないような 事も全てやってくれて、本当に感謝している。 個室隔離という事で、医師や看護師さん、そしてお掃除の方などが部屋に 入ってくるときは入り口で全身装備。 それを見ているだけでも物々しさが伝わってくる。 私はまだ寝たままの状態が多かったが、そうでなくても部屋からは一歩も 出てはいけないということで、赤ちゃんばかりを見つめていた気がする。 粉ミルクをあげても、授乳後2時間ぐらい「もっとちょうだい~」と 泣き続けていて、どうしたらいいか分からずあたふた。。。 粉ミルクだと与える量も明確に分かるため、むやみやたらに上げられない。 おしゃぶりなどはないし、ミルクはあげられないし、、、で 哺乳瓶の口をおしゃぶり代わりにしゃぶっていたりしたのもこの頃だった。 助産師さんには哺乳瓶の口を「Sサイズ(新生児~生後3ヶ月ぐらい)」から 「Mサイズ(4ヶ月~)」に変える事で、ミルクが出る量が少なくなり 飲むのに時間がかかるから満腹感が得られるかもしれない、とアドバイスを 受けたのもこの頃。 初めての赤ちゃんに、私も主人も右往左往していながらも、小さいながらに 思い切り生きている彼を見て元気を貰っていた毎日だった。 いつも有難うございます♪ 「臓器提供意思表示カード」認知度向上の為にも、是非クリックをお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 6, 2007 04:31:55 PM
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