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釈迦楽

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November 16, 2024
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カテゴリ:教授の読書日記
常盤新平さんのエッセイ集『威張ってはいかんよ』を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。

これこれ!
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 ちなみに、これ、仕事がらみなもんで、今後、ちょくちょく常盤さんの本の話がこのブログでも出て来ると思います。ま、もちろん、仕事がらみとはいいながら、常盤さんの本が好きで読んでいるので、趣味と実益みたいなもんです。

 それはともかく。

 『威張ってはいかんよ』ですが、これは常盤さんが『ダ・カーポ』をはじめ、色々な雑誌に書いたエッセイを寄せ集めたもの。常盤さんの日常生活の中で感じられたあれやこれについて、徒然なるままに思いを述べているだけで、特に心に引っかかってくるようなものではなかったかな・・・。

 ・・・などと思いながら読んでいたのですが、本書の掉尾を飾る「忘れがたい人たち」と題された3つのエッセイは迫力がありました。この3つのエッセイを読むだけでも、この本を買う価値はあります。

 特に印象的だったのは、「JJ氏」こと植草甚一さんについて書かれたもの。意外なことに、この一文の中で、常盤さんは植草甚一を痛烈に批判しているの。

 私なんか、ある意味、植草甚一世代ですから、植草さんの書いた一連のエッセイには随分影響を受けたものですが、それを常盤さんは、インチキと切り棄てる。一刀両断。

 いやあ、植草さんのエッセイをこれほどまで腐す文章って、読んだことがなかったかも。ちょっとビックリ。

 アメリカの小説を翻訳したり紹介したりする、という意味では、植草甚一は常盤さんの先輩格に当たる。だから当初、常盤さんも植草さんのことを仰ぎ見るようなところがあったらしいんですな。

 そんなある時、常盤さんは、アメリカ文学者の亀井俊介先生と植草さんと三人で鼎談をすることになる。

 ところがね、この時、初めて生身の植草甚一に接した常盤さんは、鼎談といいながら一方的に自分のしゃべりたいことだけしゃべりまくる植草氏に辟易する。

 しかも、この時既に常盤さんは、植草氏に対して、いささか否定的な思いを既に抱いていたと。

 植草さんは、確かにアメリカの作家や小説や流行についていち早く情報をキャッチし、それを紹介しているし、尋常ではないほどの勢いでアメリカの小説を買いまくり、1冊50分ほどで片端から読み漁っているという伝説も作っていた。

 ところが、植草氏が紹介している小説や作家について、常盤さんが後追いで読んでみると、どうも植草さんの言っていることがおかしいことがよくあると。

 つまり、植草さんというのは、買った本をちゃんと読んでないらしいんですな。最初の1,2ページを読み、解説や書評を読み、それで読んだ気になって紹介していると。だから、植草さんの紹介文には間違いが沢山ある。それを発見して、常盤さんは、「アレ? このじじい、インチキくさいぞ」と思い始めるわけ。

 確かに植草氏の小説評というのは、「いいなあ」とか「おもしろいなあ」だけで、具体的なことはあまり書いてない。だけど、伝説の人だから、その「いいなあ」「おもしろいなあ」には深い意味があるのだろうと、ファンは思っちゃうわけね。そうしたからくりを、常盤さんは見抜いちゃったと。

 その辺、常盤さん自身の文章を引用してみましょう。


 植草甚一という人は何かに惚れこむということがあったのかと思うことがある。これだけは一生好きなものというものがあったのか。アルフレッド・ヒッチコックやモダン・ジャズがそうだったのか。植草甚一の芯になるようなもの、核になるようなものが一体あったのか。ひょっとすると、植草さんは散歩と雑学の人にすぎなかったのではないか。このような疑問は、植草甚一の場合、野暮というものだろう。植草さんはしばしば、「とても感心した」とか、「読みながら二重の驚きを味わった」とか、「いい気持ちになったから」とかと書きつける。しかし、どうして感心したのか、二重の驚きを味わったのか、いい気持ちになったのか、こちらにはさっぱり伝わってこなかった。植草さん一人が感心したり、いい気持ちになっているように見えたものだ。これは一人よがりではないか。ごまかされないぞと私には警戒する気持ちがあった。
 そういう感想と、明らかに本のジャケットの解説か書評の翻訳と思われる文章がつなぎあわされていたから、その違和感が私のなかに不信感を生んだにちがいない。そのうえ、植草さんのエッセーは、相手が読もうが読むまいが、知りませんよといったスタイルである。一人で悦に入っているような文章である。自分一人わかって、自分一人よろこんでいる。それは、遊び相手がいない子供が一人で遊んでいるのと似ていた。(238)


 で、このような思いから、常盤さんは植草甚一を、「老人の顔をもった少年」と喝破するわけ。

 うーーーん! これはスゴイね。これほど植草甚一という人物を丸裸にした文章って、読んだことがないです。

 だけど、常盤さんは「だから植草はダメ」と決めつけているわけでもない。

 とにかく植草さんは、身銭を切って膨大な本を買った。それは読むというより買うのが好きだったからかもしれないけれども、最晩年に至るまで、本を買うことをやめなかった。このエッセイを書いていた当時、既に60代になっていた常盤さんは、そのことに驚愕するんですな。常盤さん自身、自分の年齢ではもうこれ以上本を買っても読む時間がない、と思っていたのに、植草さんは、そんなことおかまいなく本をむさぼるように買っていた。そしてそういう形でアメリカを語り続けた。それはすごいことであると。

 で、最後に常盤さんは、このエッセイをこう締めくくる。


 植草さんの文章はだらだらしていると私はさんざん書いてきた。が、ここで訂正すべきだろう。訥々とした文章だったのである。植草さんの語り口はけっしてうまくはない。話があっちへ飛んだり、こっちへ来たりで、まとまりがない。
 けれども、植草さんが語ってきたアメリカもまた、まとまりがなかった。植草さんはアメリカを私たちの前に忠実に再現してみせたのである。それを肩ひじ張らずに、ソファにでもゆったりとすわりながら、私たちに語ってくれた。みんなが声高に話すとき、植草さんは昔と変らぬ低い声で話していた。(248)


 はあ~、なるほどね~。確かにそうだったのかもね。

 というわけで、この痛烈な植草甚一批判のエッセイは、同時にまた、植草氏の何たるかを評価した、最善のものだったのではないかと。

 これを読んでワタクシは、「常盤新平、おそるべし」の意識を持ちましたねえ。



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Last updated  November 16, 2024 06:58:14 PM
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