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カテゴリ:心の世界
「寛容の心」という文字にあるところで触れる機会があり、その言葉を使っている記事の立場は、自分は棚に上げて教える姿勢が濃厚なものでした。
関心はしない姿勢ながら、その言葉「寛容な心」を考える機会をもらえたと思うと、有難いものでした。 これまで、自分自身がどうしてもよくなってもらいたい一心で、考えややり方を他へ強要していたきらいがあるのです。 でもそうしたからと言って、他の態度や行動が変わるわけもないのです。その個人がそうすべく考え行動しない限り、人は変わることが出来ません。いくら変わりたいと思っても、思うだけでは何の変化もありません。 だからもう、良くなってもらいたいと思った結果、押しつけになる行動は止めることにしました。 それは「寛容の心」を再考したときに、これまで寛容であることに勤めていながら、寛容になり切れていなかったと気づくのでした。 変わらなくてもそれはその人の性であり、そういう性に占拠された人種と思えば、気にすることはなく寛容でおられます。 完全な人はいませんが、完全に近づきたいと努力する人はいます、自分は自分の考えた完全さにより近づく努力はいつまでも続けます。そしてそういう姿勢を持つ人は特に、尊敬もし素晴らしいと感じます。 いうのは簡単、でもやることやり続けること努力を続けることが、崇高だと私は思っています。やるやるというのは、誰でもできることです、実際にやり続けることが貴重です。 そのためにはやり始めなければなりません。私は常に向上につながることを改めてはじめ、始めたら続けます。 今回の天から与えられた気づきは、私をとても楽にしてくれました。つまり自分の事だけをやっていればよくなったからです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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