アンソニー様、『林家ぺー』になる
アンソニー様、日本に到着したその日に、念願の一眼レフデジタルカメラを購入した。当時、ポルでは、2倍位高かった。それから、『お前は、林家ぺーかっ!!』と言いたくなるぐらい、写真を撮りまくっていた。もともと、写真を独学で勉強しているので、とっても上手。凝り性なので、一つの場所から、なかなか去らない。あっ!と、思うと、アンソニーは、遥か後方で、写真を撮っている。街を歩きながら、長々説明してあげていたのに、聞く人は誰もいなかったことがよくあった。小学生の姪と、3人で行ったディズニーランドでも、彼は行方不明になった。姪が迷子になっては大変と、手をつないでいたが、アンソニーの方が、注意が必要だったとは、、、姪が『小町ちゃん、アンソニーさんがいないよ。』と気が付いた。やばいー。これは、日本の子供の迷子より始末が悪いぞー。大人だから、恥ずかしがって、迷子とは言い出さないだろうし、実家の電話番号も知らない。姪と手をつないで、走り回って探したあげく、彼は、シンデレラダンサーズとマーチングバンドの中に、入り込んで、写真を取っていた。その集団は、踊りながら移動して行くので、つられて進んで行ったらしい。。。とほほ。。それからは、父の名刺を、ポケットの中に入れるようにしたけど、、、3週間の滞在で、彼が撮った写真は、1000枚以上。見るもの全てが、面白かったようだ。日本人の我々から見たら、何気ない光景でも、彼にとっては、写真に残しておくべき一枚なのだ。私は、下町生まれの下町育ち。浅草は、お散歩圏内。ごちゃごちゃしているのに、慣れている。彼が『すごいなー。これは、ポルでは違法だよ。』と、言って撮った写真がこれ。電信柱の上の方についている大型の箱から、また枝分かれして、各建物に配線がなされている。これが、ポルでは違法らしい。しかも、電線が入り乱れている。そう?私には、懐かしいごちゃごちゃした下町風景の一部なんですけど。。実家は、もちろん下町で、今でも、うなぎの寝床のような、長屋が存在している。小さな路地も、迷路のようだ。『男はつらいよ』の映画そのもの。(実家から葛飾柴又も近い)『これはすごい!』と言いながら、アンソニーがまた写真を撮っているー。恥ずかしいから、やめてー。この物干し台も、私には何でもない下町の風景。近所の散策中、畳屋を発見。古い畳を張り替えるのだろうか?仕事場に、古い畳が仕事場に置いてあった。お昼の後だったらしく、職人のおじさんが、奥の居間で転がってテレビを見ていた。通りのガラス戸から覗きながら、一応、知っているだけの知識で、畳の張り替えなどの説明をした。すると、アンソニー様、誰に断るでもなく、がらがらとガラス戸を開けて、写真を撮り始めたではないか。やめてー!ガイジンだから、許されるとでもおもっているのかしら?ま、おじさんに断っても、下町の人のことだから、どーぞって言うに決まってるけど、、おじさん、ごめんなさい。でもこの行為は、厚かましいんじゃない?しかし、ふと、南蛮人がこの国にやって来た時も、こんな感じだったのではないかなーなんて思ってしまった。何の前触れもなく、どかどか入り込んで来た南蛮人。でも、彼らが残して行った文化は、今でも、日本にたくさん残っている。あまり文句も言えないかな。。。