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カテゴリ:腎ネフローゼ奮闘記
入院中の同室の入院患者さん、三者三様。
1人は78歳で、ほとんど目が見えない糖尿病の可愛いおばあちゃん。 「ごめんね。ごめんね。私78歳でボケてて、すぐ忘れるから」と、一生懸命謝りながら、 「今日検査あったっけ?」と、何度も何度も周りの人に予定を聞く。 「どこから来たの?北千住?」と、他の患者さんに1日何回も同じことを聞く。 でも、頭の回転と理解は速い。 おウチが駄菓子屋さんで、今でも暗算が得意だから。 覚えるのに時間がかかるだけ。 数十回聞いてやっと覚える。 3日かかって、やっと検査があることを覚える。 記憶回路の構成に時間がかかるんだね。 何度も何度も反復して、やっと覚える。 20歳の時から糖尿病。 でも、可愛い。 20歳の時に糖尿病を承知で、 この人を奥さんに分捕っただんな様には、先見の明があったね。 ボケたときに、純粋な可愛らしさがわかるなんて。 まるで小さな童女のよう。 暖かな家庭なのね。 目の見える「おとうちゃん(=夫)」が、自分のために全部やってくれるって。 インスリンも、おとうちゃんが打ってくれるんだって。 もう1人は、60代の癌の女性。 小さな同族会社の社長であるだんな様のために、 化学調味料を一切使わない暖かな食事を作って、 まずだんな様だけに和風のフルコースを食べさせ、自分はあとから1人で食べる。 それが完璧な主婦業だと思っていた。 でも、違う世界の人には、まるで「主人と女中」に思えるような世界。 本当はだんな様に甘えたかったけど甘えられなかったと言って嘆いていた。 意地っ張りで、「ありがとう」、「(何かやってもらって)嬉しい」と言えない。 この女性が癌になると、 だんな様はタバコを目の前ではなく、部屋の外で吸うようになったとのこと。 そのだんな様に、 「(私の健康のために)外で吸ってくれてありがとう。嬉しい」と言えずに、 「なぜそこでタバコを止められないの?外で吸うなんてみっともない」と、 だんな様を責めたそうだ。 「私、全然、可愛くないね・・・」とご自分でおっしゃる。 源氏物語の「葵上」のような人。 でも、45年間甘えずに頑張って主婦業やって、癌になったら、一気に何か切れたのかな。 思う存分、愚痴や泣き言を言って、痛みや辛さや不安を発散するようになった。 甘える理由ができたんだね。 でも、「最初にだんな様に1人で食べさせて、自分は後から食べる」 そう聞いた78歳の暖かな家庭のおばあちゃん、 「でも、そんなふうに1人で食べて楽しいのかな・・・」とポツリと言った。 みんなで楽しく和気藹々と食事をする家庭のおばあちゃんには、 ちょっと信じられない世界みたいだった。 ちなみに、ウチの祖母は鉄鋼会社の社長令嬢だった。 同じような裕福な家の男性と結婚して、家をしきるべく、 コックさんや女中さんを管理すべく育った人だった。 自分で料理や掃除をするなど、想定外の人だった。 その祖母が高知に遊びに行ったとき、 まだ若かったハンサムな祖父が一目ぼれをした。 でも、祖父は「平氏の落人の里」出身だったが、社会的地位もお金もない人だった。 祖父は祖母と結婚したいと言って、曽祖父に土下座して結婚の許しを得ようとした。 当時は「同じ格の家」同士の結婚が、当たり前の時代だった。 祖父は曽祖父に何度も何度も却下されたが、あきらめず、 曽祖父の許可が出るまで、「お嬢さんと結婚させてください」と、 土下座して頼み続けたと聞いた。 遂に根負けした曽祖父から結婚の許可が出たが、 祖父には、祖母のために料理人や女中さんを雇うお金がない。 真面目で実直な祖父にできるのは、貧しい自分のお姫様になってくれた祖母のために、 自分が料理や掃除をすることだけ。 私が小さな頃、祖父母の家に行くと、 いつも同じ料理の小皿を指差して、「これはおばあちゃんが作った」と言われた。 いつも同じ料理だったし、正直あまり美味しくなかったが、 なぜか誉めなければいけないような気がして、 子供ながらに一生懸命、祖母の料理を誉めた。 今思う。 あの1品料理が祖母の唯一の手料理なら、 バラエティ豊かな他の料理は一体誰が作ったのか。 当時は「男子、厨房(キッチン)に入らず」が、当たり前の時代だった。 その時代に、祖父は料理人を雇えない自分の妻になってくれた祖母のために、 4人兄弟の子供達や、来客のために、 世の中の常識に逆らって厨房に入り、 毎日、料理を作り続けたのだった。 土下座して自分だけのお姫様を手に入れた祖父。 本来なら、自分で料理や掃除をしなくても良かったはずのお姫様の祖母。 祖父は祖母に料理や掃除を一切させなかった。 おそらく、土下座して結婚した時から、 心の中で決めていたのだと思う。 超リッチな生活を捨てて、中産階級の自分の妻になってくれたお姫様に、 一生、絶対に料理や掃除をさせない・・・と。 祖父は、一生そのコミットメント(決意)を貫き通し、 一生、自分だけのお姫様を大切にして、 一生、幸せだった人だった。 この話を 78歳と60代の女性患者さんにしてみた。 あなたのおばあちゃん、幸せだったね。 そう言われた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.05.30 22:53:07
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