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カテゴリ:世界&社会のこと
マラウィは、アフリカ南部にある国だ。
マドンナが脚本、制作、ナレーターも務める作品、「I am because We are」を見た。 この映画は、マラウィの現状を語る。 タイトルからして、ん?と思わせる。
冒頭で、あるアフリカ人男性がこういう。 「私達の言葉に、『私がこうあるのは、私達がこうあるからだ』というのがあります。 考えてもみて下さい。 私という存在はあなたがいなければ定義できないんです。」
うむ。
この映画が発表された2009年時点で、マラウィは世界で2番目に貧しい国。 地方の村に暮らす多くの人々が、一日一食食べられるかどうかの生活をしている。 人口の66%以上が一日$1以下で暮らし、12億の人口のうち1億以上の子供がHIV/AIDSの被害として孤児になり、2.5億の子供たちがエイズキャリア。
エイズが猛威を振るっているのだ。 これから国を背負っていくはずの有望な若者たちが、毎日毎月、どんどん他界する。 これから未来を謳歌するはずの子供たちが、生まれた時から感染している。
ううむ。
10代の男の子が言う。 「未来? 未来なんか見えないよ。 今ありすぎる問題しか見えない」
十分に辛い自分の状況を淡々と捉え、村全体の状況をしっかりと口にする少年が言う。 「もしあなたが僕達の抱える問題を助けるつもりがあるなら、僕達が孤児だってことを忘れさせて。 それが願いだよ。」
実際に食料、住居、薬品、教育、自立するための技術や職業も不足しているのが現状だが、それらを満たすだけで十分と言えるのだろうかとマドンナは問う。
要人が提案する。
子供たちが幸せであること。 彼らが未来を感じ、自らの行いに対して好感触を得たいという欲求をつなげる助けするのが、私達に出来る最も強力なことなんじゃないかと。
アフリカには私達が思いもよらない風習が今もある。 それがまた、エイズを拡散する要因になっている。
無知、と呼ぶ気はないけれど。 伝統と人の尊厳と、計りにかけることすら思わない男が村の長であることが多い現実。 子供たちへの教育、女の自立の重要性を、このチーフたちに説かないとならない。
深刻化する一方の貧困の反動か、呪術に頼る地域が増えているという。 子供の体の一部を切除すると金持ちになれるという説が信じられ、幼い子供たちが生きたまま切り刻まれ、そして放置されている。
アフリカ全土で共通している問題の一つに、人々が自らを顧みず自分以外の何かに責任を転化し、被害者意識を肥大させている点があげられるという。 現状を受け入れないと、変化は起こせない。
悪循環を断ち切るにはどうしたらいいのか? 次世代の子供達が歴史を繰り返さないようにするには、どうしたらいいのか?
アフリカの人々に共通してあるパワフルさと、恐ろしい日常の中でも笑い幸福感を持ち続けるバイタリティ。 立ち直るための手段をえられさえすれば、アフリカは自らを立て直すことができるのだ。
現代農業の中でも最も基本的で費用もかからない方法を適用すれば、現状から5倍ぐらいの収穫が見込める。 エイズ患者のケアをするシステムを投入して、彼や彼女達自身が出来る仕事を提供したらよい。 エイズや性に関する教育をオープンにして、今苦しんでいる子供たちに的確な方向を示さなければ、マラウィという国全体が死滅してしまう。
私は私の行動に責任がある。 ビジョンと方向性が必要。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 以上は映画のダイジェスト。 後半メッセージの重要度が高すぎてまとめきれない!! 後は皆さん、見ておくんなマシ☆ 英語できる方、ウェブサイトもあるって。
そういえば数年前マドンナのアフリカからの養子縁組が世間を賑わせていたけれど、特に興味も持たずにいたら、この映画の中の男の子のことだったようだ。 今、この件について当時どんな情報が流れていたのかをざっとぐぐってみたら、ゴミみたいな内容ばかり。 映画のことに触れているのはなかったようだし、男の子がひどい状態だったという話も皆無。 別に誰の味方をしようというつもりもないけれど、もっとましなことに目と意識を向けて行かなくちゃ、だな。
そして、マラウィに限らず、今世界中で苦しんでいる人々のために何ができるか。 いつだって、まるで新しいことを知ったように、自分なりに考えてみるのだ。
さ、わたしには、なにができるかな。
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Last updated
2011.08.31 01:55:08
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