劇場版 機動戦士ガンダム 1~3
ファーストガンダムからもう25年も経つそうで、温故知新のつもりで見てみました。当時あまり熱心にみてなかったと思ったけど、けっこう覚えているものだ。マチルダさ~~ん(泣) しかし 25年前と比べると 現在のSEED,SEED DESTINYはずいぶんと ツルン と クールなできになっているのだなあ。25年たつと 人間観も こんなに変わってしまうものなのか。それが なんだかショックでありました。映画とかだと 石原裕次郎なんかのころの映画をみると当時は人間て濃いかったんだなあとは思うけど、アニメの世界でもそういうことがあるとは思ってもみなかった。このファーストの だささ キャラの濃さというか 体臭 というかあつくるしい雰囲気、もう2度とこんなの創る人はいないんだろうな。カイ・シデンとか ミライさんとか、こんな ぶさいく顔も、今のアニメじゃおめにかかれません。これが見てると だんだんいい味なんですなー。ミライさんなんか 美人のセイラ以上にモテモテだし。お風呂あがりシーンまであるし(笑)おっさんキャラもいい。やっぱランバ・ラル。つるつるの美少年・美少女ばっかしが魅力ではないのだね。 SEED,SEED DESTINYはこのファーストとは別の時空設定だけどこのファーストをどう変形したのか継承したのかという点も興味深い。ファーストではアムロは政治状況にまったくかかわっていないし、母艦ホワイトベースも最後まで軍の支配下にある。戦争への疑問が意外と少ない。中立国は軽蔑的に描かれているし。みしろ、戦闘をつうじた成長 なんてことを作者は信じていたらしい。その点がSEED,SEED DESTINY製作者は不満だったのかもしれない。親子血縁関係が否定的にかかれ 臨時の共同体の絆が重視されるというのは継承か。幼い孤児三人組なんてのはエウレカセブンのほうに継承されてますね。かんじんのニュータイプ論。ファーストでは 本来、戦争なんてものを卒業する新人類のはずが 超人的兵器操縦者としてしか扱われなかった悲劇が戦闘少女ララァを中心に描かれていましたが、さてSEED DESTINYでは ステラの悲劇に対応するのかSEEDをもった人間にはどんな答えがまってるのでしょうか。