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December 24, 2006
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カテゴリ:特撮映画
 年末だ。学校は冬休みである。1965年、暮れの29日か30日の朝。“冬休みの計画”では、そろそろ勉強タイムを開始する予定なのだが、やぐらコタツに暖まりながらテレビを見ていた。突然、「ウルトラQ」の前宣伝予告番組が始まった(「ウルトラQ」は年明けの1966年1月2日から放送開始)。1時間番組だったと思う。ゴメスやペギラなど、「ウルトラQ」に登場する怪獣が次から次へと紹介された。
 「モスラ対ゴジラ(1964)」で脳天直撃真っ向幹竹割りを食らい、特撮映画小僧の道を歩み始めて早2年。パゴス、ガラモンなど「ウルトラQ」の怪獣オンパレードに魂が吸い取られ、ただならぬ雰囲気を漂わせてテレビを凝視していたのだろう、いつもなら「勉強しなさい」と言う母親も、恐れをなして見て見ぬふりをしていた。 
 時間はとんで、高校生になっても、そのまま特撮怪獣映画を見続けた。ちょうど東宝がチャンピオン祭り(夏休みや冬休みに、東宝が特撮映画とテレビのアニメ番組の劇場版数本を組み合わせて公開していた。そのイベント名)を開催していた時期である。対象は“ちびっ子”に絞られてしまった。いかに特撮小僧といえども、青年前期の自意識がある。客席で幼児から小学校低学年の子どもたちに混じるのは、ちょっと恥ずかしい。そこであきらめず、解決策を見つけるところが素晴らしい(自画自賛)。親戚や近所の子を映画に連れて行ってあげるという名目を思いついた。自分が怪獣映画を見たいために子供をダシにしたんだね。それでもって、子供は喜ぶし、やさしいお兄さんという評判も得られたし。
 しかし、この後、東宝特撮も大映のガメラも、新作が登場しない不遇の時期がしばらく続く。まだ家庭用のビデオは一般化していない。ところが、嬉しいことに、“オールナイト特撮映画特集上映”という企画があったのです。特撮怪獣映画なら同じ作品を何度でも見たいし、お陰をもちまして見逃していた作品にも出会えました。人のことは言えないのだが、ほぼ満員の客席に、いい歳をしてソフトビニール製の怪獣をもってきている奴がいた。フィギアが商品として流通するずっと以前。オタクという言葉が出現するのも未来のこと。ちょっと怪獣映画にはまりすぎの印象、不気味なものも感じたね。ソフビ怪獣は、ほしいと思ったけど・・・
 さらに、オールナイト特撮特集では、映画の上映が始まり、配役「佐原健二」「水野久美」、あるいは音楽「伊福部昭」、監督「本多猪四郎」などのタイトルがスクリーンに映し出されると、客席から拍手が起こるのだよ。特技監督「円谷英二」の文字が出てこようものなら、映画館がウォーンと反響するほど拍手喝采だった。世の中には、異常に怪獣映画が好き、という奴らがいるのだとよくわかった。
 ファン、マニアというものは、観客として見るだけでなく、チャンスがあれば映画にかかわりたい気持ちをもっている。「ゴジラ(1984)」 の続編ストーリー公募を知り(1985)、特撮魂全開で原稿用紙に向かった。過去の特撮映画へのオマージュを散りばめ、なおかつ新味を出すようにした。書きながら自分で感動し、これ以上のゴジラ映画はないと思った。   
 結果はあっさり落選。けれど、公開された映画「ゴジラVS.ビオランテ(1989)」を見て、思わず叫んだ「オレの作品のパクリじゃねえか!」。前作でバトルシーンとなった新宿でのゴジラ細胞採取、ゴジラのクローン、超能力少女など、応募した作品に登場させたものだった。間をおいて冷静になれば、そんなのはだれでも考えることであるとわかる。映画化されたストーリーは、植物怪獣ビオランテなど、やっぱり素人とは一線を画する卓越したアイデアがあるから採用されたのである。性懲りもなく『大魔神』新作映画ストーリー公募(1992)にもまたまたチャレンジしたが、あえなく落選(がっくり)。

 「ヤンガリー」は韓国版ゴジラともいえる怪獣で、過去に何度も映画化されているという(見たことはない)。また、監督のシム・ヒョンレは、子供の頃からの怪獣好き。念願かなって特撮大作映画「怪獣大決戦ヤンガリー」を制作した。他人事とは思えない話だ。なお同作品は、韓米合作で、キャストはアメリカ人である。
 シム監督、「怪獣映画とはこういうもんだ」というこだわりや、彼なりの怪獣映画に対するイメージ当然もっている。それはよくわかる。けれど、自己の怪獣映画への想いを高く評価しすぎではないか。怪獣映画を見まくって、感動しまくって、自分の視点に凝り固まっちゃって、プラス面しか評価できなかったのでしょう。自分ほど怪獣映画に造詣が深い人間はいないから、例え致命的なマイナス面があっても、素晴らしいプラス面の前には取るに足らないと考えたとしたら、アブないぞ。
 その場面を見てみよう。ヤンガリーが宇宙人に操られて、市街地で暴れる。アメリカ空軍の戦闘機が出撃。ミサイルを発射。怪獣映画の定番場面だ。しかし、ヤンガリーは首を振ってヒョイヒョイとミサイルをかわす。ミサイルは、相次いで、何発も何発も背後のビルを誤爆、街中を破壊していく。シム監督、迫力ある怪獣と戦闘機のバトル場面を演出したかったのでしょう。しかしヤンガリーのかわす動作が単調すぎ。そこへ失敗を省みずミサイル攻撃をしかけるってのってなんなのだ。ヤンガリーによる被害より、ミサイルやヤンガリーに撃墜された戦闘機による被害の方がはるかに大きいぞ。「F-16戦闘機、9機を失いました」と防衛本部に報告が入るけど、市民の財産の損失より戦闘機の方が大事なのか?それでもなお攻撃の手を緩めないジェット戦闘機!多少見せ場優先の派手 (荒唐無稽)なシーンがあっても許されるが、あんまり常識的判断からかけ離れちゃうと、まともにみられないよ。「作戦変更」を要請します。
 戦闘機でヤンガリーを倒せないと見るや、防衛本部は急ぎ次の作戦を模索する。「何か倒す手は」「君らのTフォースは?」「まだ組織中だし、ジェット推進器も・・・」「出動させるんだ」こんなやりとりも、怪獣映画ではお馴染みだ。勿体をつけておいて、怪獣に対抗する強力な新兵器や画期的な攻撃方法を登場させようという寸法だ。東宝特撮のメーサー殺獣光線、首都防衛移動要塞スーパーXなどのような超兵器を期待して身を乗り出した。そうしたら、ジェット推進機を背負った兵士軍団が登場。空中を浮遊しながら、マシンガンをぶっぱなす!?これが最強怪獣に対抗する人類の切り札なのか。ミサイルをもはねかえすヤンガリーをなぜマシンガンで攻撃するのか。生身の人間が怪獣に向かっていくって、危険極まりないのではないか。人間ジェット部隊は、つぎつぎとヤンガリーの火炎攻撃を受けて、丸焼けになって落下していく。見ている方は、乗り出した体が前のめりに脱力。きっとシム監督は、人間がパーソナル・ジェット推進機(そんな言葉があるか知らんが)で飛び回って怪獣と闘うシーンを頭に思い浮かべ、限りない興奮を覚えたのでしょうね。彼の脳裏には、人間ジェットのカッコよさしか残らず、間尺に合わないことは全然意識できていなかった。
 この作品、だれが主役なのかわからない。その中で、ホリーなる歴史学者の女性が作戦本部に出入りするが、これは名作「ガメラ大怪獣空中決戦(1995)」の鳥類学者長峰真弓のイメージをいただいているね。さらに、Tフォースの生き残りソルジャーによりコントロール装置を破壊されたヤンガリーは、宇宙人の攻撃によって崩れ去ろうとするビルを支えて人々を救う。宇宙人の支配から逃れるやいきなり人類に役立つ怪獣に変身だ。この場面もガメラが身を挺して、ギャオスの殺人超音波メスから人間を救う場面の影響下にある。平成ガメラの場合は、生物兵器であるギャオスを倒すために創造された怪獣という設定なのだが、ヤンガリーについては人類側に立つ説明はない。ゴジラも、昭和ガメラも、最初は人類文明の敵として登場し、人気を集めるに従って、ヒーローに変わっていった。
 シム監督も、このパターンをなぞりたかったのだろう。最初はヤンガリーを悪役として登場させ、徹底的に大怪獣の破壊力を示す。しかし、シム監督のかわいい息子ともいえるヤンガリーを最終的には正義のヒーローにしたかったのだ。クライマックスは、ヤンガリー対サソリゲス(宇宙人が送り込んだ宇宙怪獣)の怪獣バトルだ。ヤンガリーはぼくらの地球怪獣として、死力を尽くしてサソリゲスを撃退する。けど、ゴジラやガメラが、人類側について敵怪獣と闘うようになるまでにはそれなりの道のりがあった。人類に敵対する存在からニュートラルになり、徐々にぼくらのヒーロー怪獣になっていったのだ。だから観客も、その転向に納得したわけだ。一本の映画で簡単に設定を変えては、深みがありません。(ゴジラやガメラなど、ヒーロー怪獣が、宇宙人に操られるという話はあります。けれど、それは地球怪獣という前提があり、そこにコントロール装置をつけられるのです。だから、宇宙人のコントロールが切れれば“もとに戻る”わけ。ヤンガリーは「もと」の状態がないでしょ)
 こんな「怪獣大決戦ヤンガリー」を“おやじギャク映画”と呼びたい。おやじギャクっていうのは、言ってる本人は気の利いた笑い (自己評価が高い)を披露しているつもりだけど、自分で自分のギャグに笑いが止まらない様子などから、往々にして余計に周囲の顰蹙をかってしまう(客観的評価は低い)。身につまされるね。
 ただ、おやじギャグもはずし方がことのほか強烈だったりすると、話題にはなる。オーエル同士の会話に「この前の課長のギャグったら、チョーひどかったわねぇ」なんて登場するのだ。「怪獣大決戦ヤンガリー」も、見る者を煽っておいて、人間生体ジェットを出してきた驚くべき特撮センスによって、脳みそからのデリートが不能となった。


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Last updated  December 24, 2006 06:38:23 AM
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