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カテゴリ:特撮映画
なんで『タイタンの戦い』なんだ? アメリカ版特撮の神様レイ・ハリーハウゼンの代表作といえば、『シンドバッド7回目の航海(1958)』でしょう。『アルゴ探検隊の大冒険(1963)』でしょう。 2本とも、驚異的なクリーチャーがつぎつぎに登場し、主人公たちと大バトルを繰り広げる。特に『アルゴ探検隊の大冒険』は、我が心の重要な映画だ。青銅の魔人タロス、怪鳥ハービー、七首竜ヒドラ、そしてガイコツ戦士との集団剣劇と、それらは子供心を激しくシェイクし、心の内に秘めた特撮魂を大噴火させる誘因となった一本だからだ。 『シンドバッド7回目の航海』は、一つ目巨人や双頭のロック鳥などのクリーチャーを雑誌の写真で知り、見たくてたまらなかったが、実際に映画を見ることができたのは大人になってから。『恐竜の島(1975)』と二本立てのリバイバルだった。 そんなこんなで思い入れたっぷりに旧作の『タイタンの戦い』を見た。 ハリーハウゼンの特撮は、クリーチャーやモンスターなどの人形を少しずつ動かして映像化するストップモーション・アニメーションの技法を使っている。 旧作『タイタンの戦い』が公開された当時は、新たな特殊撮影技術を駆使した『スター・ウォーズ(1977)』が映画界を席巻していた。それに対して、ハリーハウゼンは、自らの信じるテクニックで果敢に新勢力に挑んでいった。確かインタビューで「まだまだ『スター・ウォーズ』には負けはせん」と語り、意気軒昂だったことを覚えている。 これはプロレスにおいて、必殺技の連発、ハイスパート・レスリングの全盛時代に、ボディスラム一発でフォールを取りにいくレスリングを展開するようなもの。 できあがった『タイタンの戦い』を見てどうだったかというと、確かに天馬ペガサス、双頭の狼ディオスキュロス、頭髪が蛇の妖女メデューサ、メデューサの血から生まれる大サソリ、大海獣クラーケンなど、いつもながらのクリーチャーの楽しさはあった。しかし、こちらとしては『7回目の航海』や『アルゴ』のような興奮を期待していたが、夢よもう一度というわけにはいかなかった。 悲しいかな旧作『タイタンの戦い』は、レイ・ハリーハウゼンのラスト・ムービーとなってしまっている、今のところ。まだご存命であられるから。 だから、なんで『タイタンの戦い』なんだ? そうした旧作に対する思いを抱きながら見た新作『タイタンの戦い』だが、これは思ったよりよかった。 まず、主人公ペルセウスを徹底的にヒーローとして描いたところが小気味よい。神と人間のハーフとして生まれたペルセウスだが、「神の力は使わない」と意地を張る。なかなか根性があるじゃないか。 さらに、蛇女メデューサの首を刈りに行くときに、同行してくれた仲間に対して発する言葉が泣かせる。「今まで尊敬する男は父一人だった」何を言い出すのだペルセウスは。こんなときに父の思い出話か?そして続く一言は「でも、今は4人増えた」だった。これはじつに重みがある。泣かせる。言われた男たちは、意気に感じるぞ。 そして、クラーケンがアルゴスの街で大暴れする中、メデューサの首を掲げて駆け付けるペルセウス。ピンチに登場して人々を救う、これぞヒーローだ。 そのクラーケンの雄姿は、下から煽るようなカメラワークでモンスターの巨大感を表現して、じつに心地よかった。 けど、クラーケンの造型は、旧作の方がまだよかった。欧米人が忌み嫌うイカタコをベースとし、頭部は嘴のある猿みたいで独特なクリーチャーだった。今回のクラーケンは、『バイオハザード(2002)』に出てきたリッカーみたいで最近ありがちな顔立ちだった。もうちょっと個性を主張するデザインにできなかったのか。 それにしても気の毒なのは妖女メデューサだ。魔物にはちがいないのだろうが、今回のストーリーでは、別に誰かに危害を及ぼすようなことはしていない。むしろペルセウスたちの方が、クラーケン退治にメデューサを利用するために一方的に攻めてきたのだ。クラーケンが暴れ回るようなことがなければ、悪しき存在でもとりあえずは放置されたまま生きながらえただろうに。 しかしながら、新作『タイタンの戦い』を監督したルイ・レテリエも、旧作『タイタンの戦い』を見て衝撃を受け、レイ・ハリーハウゼンを尊敬しているという。リメイクをきっかけに、映画史のメインストリームではなく、CG技術に凌駕されたストップモーションアニメが、伝説として語り継がれるのはいいことだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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