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テーマ:DVD映画鑑賞(14216)
カテゴリ:特撮映画
ザ・デストロイヤーは、白覆面の魔王と呼ばれ、一世を風靡した名レスラーだ。 それにあやかって、スーパー・デストロイヤーというプロレスラーが出現した。この二人、体格も覆面のデザインも異なる。アメリカでは、タッグを組むなどの関連性や接点はなかった。 もし、後者が勝手にザ・デストロイヤーを名乗ったとしたら、本物からクレームがつくだろう。しかし、スーパーだから。「お前が本家デストロイヤーなら、おれは本家スーパー・デストロイヤーだ。何か文句ある」と開き直っちゃうわけだ。 さて、『プレデターX』だが、あのアーノルド・シュワルツェネッガーが主演した『プレデター(1987)』から始まるシリーズとは無関係。「本家プレデターX」なのだ。うっかりまちがえてDVDを借りたりしないように。 なお、原題にはプレデターという言葉は入っていない。『プレデターX』は日本でつけられたタイトルだ。 ぼくはそういった胡散臭いものは大好きだ。敢えて紛らわしさを好み、そういう映画を選んで見ているのだ。内容的にはZ級でも、そこが楽しい。 しかし、一点看過できないところがあった。 この映画は、巨漢の、プロレスラーのような白人と黒人の兄弟が主人公だ。なぜ白人と黒人が兄弟なのか、この点に疑問をもった人は映画を見てください。地獄へ道連れじゃあ。 白人と黒人の兄弟という設定が看過できないのではない。 最終的に、この巨漢ブラザーズがタッグを組んで、異星から来たクリーチャーと肉弾戦で闘う。ここが、ぼくとしては納得できない。 クリーチャーやモンスターは、特殊な存在だ。たかだか人間ごときが、例え巨漢の二人組であろうと、特別な武器ももたずに渡り合ってはいけないのである。 本家『プレデター』では、職業軍人のシュワルツェネッガーが、作戦を練って決死の覚悟で挑んでいった。同じように、もし、この二人がプロレスラーであるとか格闘家であるとかの闘いの専門家として対決するのならまだ許せるが。 誰かが言っていた。「虎の爪は、出刃包丁が何本もついているようなものだ」と。熊の爪だって五寸釘が並んでいるようなものでしょう。前足の一振りで人間の皮膚なんかずたずたになる。虎や熊だって、ヘビー級のプロレスラーの二や三人は簡単に血祭りにあげてしまうだろう。 実在の猛獣だってそんなに凄いのだ。だったらクリーチャーやモンスターは、猛獣よりはるかに強く恐ろしい設定であるべきだ。 『モンスター・パニック(1980)』だったかな。半漁人みたいなのが現れて、街は大騒ぎになる。だが、人々が反撃に出て、そのモンスターを取り囲んで袋叩きにしちゃうんだよね。姿形や出自が特殊でも、そんな弱いもののどこがモンスターか。ぼくは情けなくなった。 新日本プロレスでは、腕に覚えのある者が道場破りに来ると、必ず叩きのめして帰したという。プロレスラーは、一線を画した強さを示していたのだ。 同じように、相手が熊や虎でも蹴散らすような圧倒的な能力を備えていて、初めてクリーチャーやモンスターと呼べるのだ。 スーパー・デストロイヤーは、名前こそ便乗型だったが、もともとは実力のあるレスラーだった。その後、日本においてザ・デストロイヤーと覆面レスラー世界一を賭けて闘った。 しかし、『プレデター』と『プレデターX』が交わることはない。 このブログは、『プレデターズ(2010)』とうっかりまちがえてアクセス数を増やすことを目的とするものではありません。時期的に紛らわしかったら、あしからず。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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