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テーマ:特撮について喋ろう♪(4732)
カテゴリ:特撮映画
中島春雄さんは、元祖ゴジラ(ぬいぐるみ)俳優であり、この道の第一人者でもあります。 当方の怪獣映画本格体験は、『モスラ対ゴジラ(1964)』でした。リアルタイムの封切り公開です。 この映画では、倉田浜干拓地地中からゴジラが出現する場面は、まさに迫真の演技で巨大生物のど迫力を表現していま す。このときの感動が、当方をして特撮映画の魅力に取り込んだわけです。 以後、中島さんは、数々の怪獣映画、テレビ番組でぬいぐるみ役者として名演技を積み重ねていきます。 ゴジラ、ラドン、バラン、バラゴン、ガイラ、パゴス、ネロンガ、ガボラ・・・・。 しかし、彼がそもそも俳優になった動機とは、つぎのようなものです。 「職を転々とした後に、俳優学校に入った。そして東宝の所属俳優になったけど、スターを目指したわけじゃない。ほかに仕事がなかったんだ」 中島さんは、大部屋俳優として東宝と契約し映画に出演します。そして、本邦初の大怪獣映画『ゴジラ(1954)』で、ゴジラを演じるのですが、そうなったのも以下のような事情からなのです。 大部屋俳優の中でも、中島さんは「エキストラも吹き替えも何でもやる」役者でした。特に「ケレン師(今で言うスタントマンでしょうか)」として、主役のスターさんの身代わりとなって橋から川に落ちる役などをやっていたとのこと。それは「危険手当がつくから」との理由からでした。 ゴジラの着ぐるみに入ったのは、中島さんが「ケレン師」だったからなのです。 くりかえしになりますが、『ゴジラ』は本格的特撮怪獣映画の第1号だったのです。 今でこそ、特撮系の映画、テレビ番組には、スーツアクターという役割がしっかりあります。 しかし、その当時はスーツアクターという言葉はおろか、存在自体もまるでなかったのです。 だから、誰がゴジラの中に入るかとなったときに、「なんでもやるケレン師」が呼ばれたというわけです。 まったく前例がない分野であり、しかもセリフもなければ素顔も出ない。 しかし、中島さんは、誠心誠意この役を務めます。 「ただ動くだけじゃなく、本当の生き物らしい芝居をしないと映画にならない」 この言葉は、役者魂という言い方もできるかと思いますが、それ以前に中島さんの誠実な人柄を現していると思います。 中島さんは、動物園に通って様々な動物の動きを観察します。「生き物らしい芝居」をするためです。ぬいぐるみの中に入って、どうせ顔が見えないからテキトーにやる、などという不届きな思いは微塵も抱かないのです。 そんなまじめな中島さんの前にたちはだかった壁がありました。ラドンのような翼竜怪獣やバラゴンのような四足歩行怪獣の中に入るときのことです。それらは、本来は逆関節とか蹄行性、指行性などといわれるように、人間とは脚の形がちがうわけです。 「ラドンは足が本物の鳥とは逆に曲がるのが、演じる者としては不満だよね。人間が入るんだからしょうがないけど、みっともないって。なるべく足を伸ばして芝居したよ」 「不満なのは、四足怪獣は膝をついて歩く形になること、ラドンの足の曲がり方と同じで、人間っぽく見えるのが気になる。木や岩に隠して、なるべく写さないしかないね」 演技であれば、がんばって「生き物らしい芝居」をすることもできます。しかし、体型ばかりはどうがんばっても、ぬいぐるみ怪獣ではできません。さぞもどかしかったことでしょう。。 おそらく中島さんは、ゴジラに入らなくても、役者にならなかったとしても、ご自分のお仕事にすこぶる実直に取り組まれるお方だっただろうと、このようなエピソードからしみじみ感じるのです。 中島さんは、「ケレン師」としてスターさんの変わりに危険なシーンを演じていた経験があるのですが、特撮怪獣映画の撮影もかなり危険が伴うものだったようです。 「怪獣映画の岩山のセットは、ブリキで岩の形を作って、表面にウレタンを張っているんだ。セットにはブリキが尖ったところもあるよ」 「バラゴンのときは、中で剣道の面を被っているんだもの。この作品は激しい立ち回りが狙いだったからね。どんなにぶん投げられ転がっても、頭から落ちても平気なようにね」 「(メーサー光線で撃たれると)弾着から火が出て、(ガイラの)ぬいぐるみ(これは他の体重より薄い)がメラメラ燃えるけど、あれくらい平気だよ。『春ちゃん、やって』と言われたら、黙ってやる。主役だもの」 さてさて、中島さんは、ぬいぐるみ俳優として幾多もの名演技を残しているわけですが、大部屋俳優として素顔でも、黒澤明監督の『七人の侍(1954)』などたくさんの映画に出演されています。もちろん、その他大勢の役ですから、セリフがついたとしても一言、二言なのですが。 「セリフが多い役はじつはやりやすい。大部屋やっていて、一言だけセリフがある役は逆にやりにくい。そのセリフを言うタイミングを待っているから逆に難しい 」 とおっしゃる中島さんは、生涯一度だけ、セリフの多い役をやられました。 それは、『太陽のあいつ』というテレビドラマです。 この番組の主題歌をジャニーズが歌っており、それはヒットしたので聴いたこともありますが、ドラマ自体はなんとなくしか覚えていません。 その連続ドラマの中の1エピソードに、中島春雄さんは主役級のポジションで出演するのです。怪獣映画のぬいぐるみ役者の役で。残念ながら、中島さんが出演した回のことはまったく知りませんでした。 「長く怪獣役をやったけど、『太陽のあいつ』を見ると、素顔の役もほかにもやりたかった気がするな」 これは、やはり役者を生業とした人としての本音でしょう。 そして、この後、中島さんは映画界は去ることとなります。 映画産業は斜陽となり、東宝も大勢の役者さんを抱えていることが難しくなります。 怪獣役者としてキャリアを重ね、スクリーン狭しと大活躍した中島さんですが、世間一般は、ゴジラやラドンは知っていても、役者中島春雄のことは知らない。だから、転職を余儀なくされます。 しかし、1996年ころから、中島さんはアメリカの特撮ファンのイベントなどに頻繁に招待されるようになります。 「ミスター・ゴジラ、ハルオ・ナカジマ」として、異国の地で講演をしたり、サイン会をしたり。 世間一般は知らなくても、マニアの間では、中島さんの偉業は国際的に有名なのです。 この本を読んでから、また、中島さんのゴジラやバラゴン、ウルトラマンと戦うジラースなどを見直しました。 そして、東宝特撮の本編、ウルトラQやウルトラマンに、素顔の役者で演技している中島さんも探しました。 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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