どうにもこうにも笑われへん心境になった
って朝ドラのあさちゃんが言ってたけど、私もここ最近そんな気持ちになること多いです。いや、別に何があったと言うわけでもなく、多分自分で自分を落ち込ませているだけのような気もするんですけどね・・・何だかなあってはーってため息つきたくなる感じなのです。その一因は月一のカウンセリングがお休みになってること。カウンセラーさんが病気で入院されたようでここ2ヶ月ぐらいのことなんですけどね。きっとそこでガス抜きのように気持ちを吐き出して立て直していたのが、出来なくなったことが大きいのかしら?その代わりのように実家の母の吐き出しを聞く機会も多くなってるから、自分の幅が一杯になってるのかな?娘の吐き出しもよく聴かせて頂いてるし~夫と息子と義母にはセルフでお願いしていますね。もっと聴いた方が良いのはわかってるのですが、そこまで私の気持ちに余裕が無いのかも知れませんね一杯一杯なのかな~無理は良くないよねって自分にも言ってます。無理するとどこかにしわ寄せが来ますものね。なのでブログも書く気持ちがあんまりわいてきませんでした。自分の覚え書きのようなSNSでの写真のアップはしていましたし、他の方の投稿も読んだりコメントしたりいいねしたり、そんなことは出来てたのですが。文章にすると自分の気持ちと合ってないことを書いてしまうような気がしました。私は時々そんな心持ちになることがあります。無理して笑ってるような感じです。そして後でどっとそのつけが来るような感じ・・・出来るだけ笑顔でいたいなあ~とは思っているのですけどね。自然体が難しくて~実家のつわぶきと2、3日前の夕焼け空ガラッと話は変わります。この前の日記のお返事に書いた「ソウルメイト」のお坊様の本題名は『他人の力を借りていいんだよ』という大下大圓さんの書かれたものです。色々とためになることが書かれていました。ご自身が日々沢山の方々の悩みを傾聴して感じられたことを書かれてるので、決して上から説法されてるような感じではなくてとても深く心に染みるようなお話ばかりでした。以下少し抜き書きしたのを記します。 子どもの「内なるメッセージ」を聞くことができたら言い訳しないで その思いをしっかりと受けとめてください。そのことを「受容」といい ます。その受容的心境が子どもの心を少しずつ開いていくのです。 傷つきやすいから魂が磨かれる。青年期の問題を考えるとき、いちばん 大切なことは「傷ついてもいいんだよ」「弱くてもいいんだよ」という ことをもっと強調していくことではないかと思います。 みんな結局は幸せになりたくて生きていると思うのです。でも大人に なっていくと、幸せの価値尺度がいろいろ出てきて歪んでしまうことが あります。とくに現代の大人にとって、そもそも幸せとはなにかの定義 自体が難しいのです。自分にとっての幸せとはなにか一度「棚卸し」 してみてはどうでしょう。 もともと変化するものを「絶対」だと思い込んでしまうから苦しくなる。 私たちは所有しているのではなく、1時預かって活用してるだけ。土地に しろ、建物にしろ、お金にしろ、肩書きにしろ、それはあなたのものでは なくて単なる預かりもの。世の中を生きていくための道具なのです。 だからこそ手放すこともできるのです。 同じように、たとえわが子であっても、まちがっても所有という考え方 をしてはなりません。子ども自身、日々大きく変化していきます。 親子間係も日々変化していくのです。親は子を所有しているのではなく 縁があって親子になってこの世においてともに成長する存在「縁生」を 結んでいるだけなのです。だからこそ「見守る」「ともに関わっていく」 という考え方をせねばなりません。「諸行無常」にも通じるのかしら。日々目に見えるような大きな変化は無いかも知れないけれど、少しずつ小さな変化はあって、新しく生まれるものも無くなっていくものもある。またまた朝ドラから感じたことだけど、その時の素直な気持ちを大事にしていくことが、自分を大事にすることであり、周りの人を尊重することにもなるのかなと思ったのでした。ちょっと疲れてるのかなあ~と思いながら、素直な人が眩しく感じられる今なのです