カテゴリ:原発事故
原発「絶望した時が最後の負け」:小出裕章氏 削除 移動 . 2013/2/27(水) 午後 10:03 原発事故 茨城県 . ナイス!0 . 反原発の活動,私たちがどのように団結してやっていけばいいのか? インターネットラジオ 【ペイフォワード環境情報教室】小出裕章氏に聞く 2012年11月8日 音声12分 http://8bitnews.asia/wp/?cat=556 一部分だけの引用 小出裕章氏: 私は原子力の場で,原子力に抵抗して生きてきました. 残念ながら原子力を止めることができませんでした. 福島第1の事故を防ぐこともできませんでした. 「私の力は本当に無力だったな」と思います. ただ,こういう事は歴史の中では何度もあっただろうと思います. 日本は何十年か前は戦争をしていました. 戦争を「止めたい」と思った人もいましたが そういう発言さえできないまま歴史が流れて行きました. 原子力も同様に,1度作られた大きな流れを止める事は容易ではない. 今は,原子力に抵抗したからといって投獄されたり,殺されたりはしない. 皆さんも1人1人が個性を活かして活動して下さる事で 何とか原子力の暴走を止められると私は思います. 原発に狙われたが阻止した自治体は,日本中にたくさんあります. 新潟県の巻町(現在は新潟市) 三重県の南伊勢町/大紀町/熊野市 和歌山県の日高町/白浜町/串本町/那智勝浦町 次々と原発が計画されたが,住民が抵抗してきた長い歴史が存在します. 和歌山県の日高町では, 関西電力が金をバラまいて住民を切り崩したが 最後の最後まで抵抗を続ける人達が残って,最後の勝敗を分けました. そういう人たちを孤立させないで,支える運動が必要だと思います. 私たちがどのような社会を作りたいのか. 1人1人が横につながっていく事が良いと思います. 私は,地球上の70億人のうちの1人です.皆さんもそうです. 私は「自分らしく生きたい」と自分の思った事をやってきた. ただそれだけのことです. 私は,ずっと原子力の巨大な力と戦ってきましたが・・・ 私の歴史は敗北の歴史でした. 次々と原発を建てられてしまいました. 正直に言えば,絶望しかけたことも何度もありますが, そのたびに「絶望した時が最後の負けだ」と 自分に言い聞かせながらきました. これからも決して絶望だけはしたくないと思っています. ----引用終---- 過去記事 小出裕章氏が大学3年で突然反原子力になった理由 http://blogs.yahoo.co.jp/permer4_4/27022070.html 小出裕章氏の今までの講演会(動画)のURLまとめ http://nakagawa.good-space.jp/koide.html. 転載元: 茨城(キ)県那珂市近郊の歯科:中川デンタルクリニック 同感です。新潟県の巻町(現在は新潟市) 三重県の南伊勢町/大紀町/熊野市 和歌山県の日高町/白浜町/串本町/那智勝浦町 次々と原発が計画されたが,住民が抵抗してきた長い歴史が存在します. 三重県の抵抗の歴史はあのNHKがローカルで放送していました。NHKの中にも心ある方がいるのでしょう。 「絶望した時が最後の負けだ」と 自分に言い聞かせながらきました. この言葉にも心打たれます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2013.02.27 22:09:00
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