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カテゴリ:お菓子
福岡に16区というお菓子屋さんがあります。 あの、おいしいダックワースを発明した三嶋さんのお店です。 以前、わたしがお菓子屋さんにいた時、 個人のお店で、売り上げ日本一は、16区(じゅうろっく)だと聞きました。 なんで、そんなことを知っているかというと、 じつは、私、日本で2番目のお店にいたからです。(ちょっと自慢) そして、おなじ福岡県生まれの会社に、あの偉大な松尾製菓があります。 松尾製菓というよりは、チロルチョコを作っている会社と言ったほうが 分かりやすいかもしれません。 松尾製菓の歴史は古く、1903年の創業になります。 つまり、トヨタ自動車より歴史のある会社なのです。 もともと、福岡県田川市は炭鉱の町で、 過酷な労働で疲れ果てた炭鉱労働者の方々に おいしいまんじゅうを提供することを目的に、 初代の松尾喜四郎がつくったお菓子屋さんです。 しかし、まだ、この頃は、チョコレートは作っておりませんでした。 やがて2代目となると。。。 時代は石炭から石油へ 炭鉱は閉山となり、 まんじゅうを買ってくれる労働者の方はいなくなってしまいます。 2代目は、初代の大反対を押し切って。。。 炭鉱跡地に、1万5千坪のチョコレート工場を作っちゃいます。 もし、2代目が、父親の言うことを きちんとよく聞く、お子ちゃんだったら。。。 会社は、炭鉱と共に、無くなっていた事でしょう。 今の三代目の松尾利彦さんの話によると、 初代(おじいちゃん)と二代目(父親)は、 いつも経営のことで、大衝突を繰り返していたそうです。 チロルチョコが生まれたきっかけは。。。 むかし日本が石油ショックにより、原材料の高騰に見舞われたときです。 (現在とまったく同じ環境) チロルチョコの値段を10円から30円へ値上げすることを余儀なくされます。 松尾製菓の売り上げは。。。 フォークボールのように失速します。 そこで、2代目は考えます。 ”こどもに石油ショックはまったく関係の無いこと。 こどもがお小遣いで手軽に買える価格に戻さなければいけない。” 2代目は、当時、細長い3つ山のチロルチョコ(ネスレのキットカットみたい?)を 現在のかたち、1つ山にして、価格を10円に戻す決断をします。 もし、10円に値下げして販売数が横ばいなら。。。 売り上げは、3分の1に激減。会社はおわり。 のちに3代目社長となる松尾利彦は振り返り、 ”社員から父のような大胆な意見が出ることはありませんでした。会社のことをそれだけ 真剣に考えているのは、社長だけなんだと勉強しました。”と語っている。 やがて、3代目に見えないバトンは移ります。 3代目は、慶応、米国留学、ヤマザキ出向、という帝王学を身につけ あらたな風を会社に吹き込んでゆく。 取引先を、駄菓子屋さんから、 スーパー、コンビ二へ販売をシフトさせ、POSシステムを取り入れ、 マーケティングに力を注ぐ。 そして、2003年、 あの ”チロルチョコ きなこもち ”が発売される。 この冬季限定のお菓子は、発売と同時に爆発的に売れた。 冬季限定であったにもかかわらず、 売り上げは単品で20億円を超えた。 チロルチョコ一個の値段は、10円だということを覚えていますか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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