職業と人とは別次元
新聞は書籍などの広告を見るために取っている、といっても過言ではない程度の信用度に落ちている今日この頃。その新聞の投稿欄に「主婦だって立派な職業」的投稿をまたしても見つけてしまって落胆。仕事というものは、時代の要求によってモテハヤサレタリスタレタリ。ごく当り前の事。今やストッキングのほつれを修理する人が引っ張りだこになるはずもなし。でも人がより快適に暮らしていこうと望んだ時に「ハウスキーピング」というものは重要な位置を占めるのは当然では?だからこそ、これだけ家電が多種多様に開発販売されてきているわけで。それを「お手伝いさん」に外注せずに家族内で分担しよう、そう考えるのは自由です。問題は、どう分担するのか。高度経済成長とモーレツ社員の背景から形成された専業主婦。それを選択する事を第三者がどうのこうの言える権利はありません。でもそれは各世帯の「選択の問題」でしょう。たまたまアナタには「専業主婦という選択肢があった」だけなのです。夫が今、たとえ誤認であろうと電車内の痴漢行為で逮捕されて、会社を解雇になったとして、「専業主婦を選択する」のも自由。でもそれは、子供や夫を経済面を含めて守る大人の責務を果たせるか、と考えたら甚だ疑問。メディアでワーキングプアなんて言葉が取り沙汰される今、すでにかなり浸透していると考えてよいのではないでしょうか?その時代に「専業主婦」を選択する、というのは、相当のリスクを背負っているということを自覚すべきではないでしょうか。その上で選択するのは自由です。子供と過ごす時間を蔑ろにしろ、と言いたいのではなく、一緒にいるからといって家族を守れるとは限らない。家に専業主婦の妻と子供がいるから、という理由で理不尽な環境で過労死するほど仕事をする夫。辞めたくても辞めたいと言い出せない夫。そんな人達を救えるのは果たして専業主婦の妻だろうか? 子供だけでなく夫への視点が抜け落ちているように思えてならない投稿だったもんでね。一言いいたくなったわけです。