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テーマ:離婚後の生活(775)
カテゴリ:持病、喘息など
季節の変わり目が辛い、爽やか日の朝晩の急激な温度の差が辛いし、
過度なストレスが 発作を引き起こすこともある。 喘息を意識したのは、やはり保育園で年中組のはずなのに 年長組入れられた時です。 4、5歳の1学年違いは大きい4月生まれと3月生まれでも かなりの差があって大変だと思う。 ほんとに絵も折り紙も、思うようにできなくて辛かった。 バカ扱いされてるのは、子供でも分かるし、 同じクラスになるはずの子と別々、母も違和感に気づいてたが 行動には移さなかった。 湿疹がありアレルギー体質、ストレスで喘息を引き起こしたと思う。 扁桃腺切除の手術をしたが、喘息は治らなかった。 気管支が粘液でふさがれて呼吸困難になる、扁桃腺が腫れるからではない・・ 弟が生まれた前後も、過度なお手伝いで 喘息になることが多かった。 3年生の高尾山の遠足でも発作が起きて、登山できなかった。 要領が悪いのか 4年生で手芸クラブの部長 その後もクラス委員に選ばれて、 負担大きく…職員室が煙草の煙が凄くて、喘息を誘発した。 担任が使えないクラス委員長だと言って、仕事は減った。 弟と9歳違い、家事手伝い以外に母に頼まれて子守もした。 赤ちゃんの頃は自分も幼くて大変! 子供心に、いい子にしてたら損だし、体にも悪いと思っていた。 3歳違いの妹は、近所の友達の家に遊びに行ってしまいお手伝いはしない 私の友達は1キロ先に住んでいて、簡単にはいけなかった。 近所の子供は弟の世代ばかりの新興住宅地でした。 弟の面倒は 始めは嫌だったけど幼稚園児になると面白かった。 仮面ライダーのショーとか東映マンガ祭りとか、母の苦手な ところは楽しく出かけた。楽しい時は喘息も起きない。 私も6年になると母より背が高くなってたが まだ弱体で喘息で休むことも多かった。 欠席でいくらかよくなった時はひたすら読書。 父の大人の蔵書を読んでいた。 もちろん少女漫画も好きだったが、 手塚治虫先生の作品が好きで「火の鳥」を見ていた。 母が隠してた主婦の友も見たりして 知識だけは母以上だったかも・・・ 母はお手伝いさせたい時、喘息で医療費がかかった、 夜中の看護が大変だっと、持病を利用した…事実なので逆らえない・・・ 発作や家事手伝いなど現実が辛い時、別な世界に逃げることを覚えた。 空想と読書、趣味の世界…それは今でも変わらない。 母は私を支配しようとするが 喘息の発作が起きた時は しばらくお手伝いが頼めないことは、わかっていたし、 逃避の世界まで、入り込めなかった。 そして良くなると持病を理由に、私を支配するの繰り返しでした。 中学校に行くまで・・・
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最終更新日
2017.09.27 05:39:26
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