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カテゴリ:美術
2月初めのピーク時は1日10万人近い新規感染者を出していたコロナウイルス流行の第6波、その後全国的には徐々に減っているようですが、亭主が住む茨城県ではこの一月あまり感染者数が高止まりのままで推移しています。その間、ようやく亭主のところにもワクチン接種券が届き、先々週に3回目を接種。そこで、これを口実に先週末、東京は上野の国立博物館で開催されている表記イベントに足を運びました。
ポンペイといえば、古代ローマの遺跡で有名な南イタリアの首都ナポリ近郊の小都市。西暦79年に起きたヴェスヴィオ火山の噴火による大量の火砕流により都市全体が短時間で埋もれ、そのまま18世紀に再発見されるまでタイムカプセルのように保存されていたことで知られています。再発見当初は、もっぱら古代ローマのお宝を目的とした盗掘の対象になっていたようですが、19世紀以降徐々に学術的な発掘調査が進み、現在では古代ローマ当時のままの建造物や街並みが見られる唯一無二の遺跡として世界遺産にも登録されています。もちろん、展覧会に古代の街並みそのものを持ってくるわけにはいきませんが、遺跡で最大の邸宅「ファウヌスの家」の一部を再現するなど、当時の事物だけでなく生活空間をも体感できるような展示が行われています。 とはいえ、やはり亭主にとって一番の目的はモザイク画。イタリアでは、漆喰に水溶性の顔料で絵を描くフレスコ画が広く建物内の壁面の装飾に用いられていますが、ヴェネチアのサンマルコ聖堂など、ルネサンス期以前の古い建造物にはモザイク画も散見されます(東方教会・ビザンティン美術の影響?)。その源流はやはり古代ローマ時代(帝政期)にあるようで、当時のヴィラ(別荘)では豪華なモザイク画で装飾された床が有名です。ポンペイの「ファウヌスの家」でも、談話室の床が「アレクサンドロス大王のモザイク」(現在修復中)と題された巨大なモザイク画で飾られており、展示ではこれを再現した部屋もあります。 展示の中には、大噴火の前のヴェスヴィオ山を描いたフレスコ画(紀元前1世紀ごろ?)もあり、当時からモザイクとフレスコ両方の技法が併存していたことが窺えます。とはいえ、やはりモザイク画は格段に手間暇がかかる分だけ保存状態もよく、2000年という長い年月を経ても鮮やかな色彩の画面を堪能することができます。 ところで、亭主がモザイク画に興味を抱いたきっかけは、常日頃よく参照している南イタリアの家庭料理を紹介したレシピ本にあった扉絵でした。古代ローマ末期・シチリアのモザイク画とありますが、亭主がそれまで知っていたビザンティン美術のモザイク画よりも遥かに精緻なことに加え、そこに描かれた水着姿の女性の様子が現代のそれとウリ二つなのに驚愕し、モザイク画そのものだけでなく当時の暮らしにぶりにも大いに興味をそそられた記憶があります。 今回の展覧会でも、この帝政期ローマ時代における生活のモダンさ、また絵画や彫刻の主題におけるルネサンス期以降の美術との類似性について、改めてその思いを強くしました。前者では、発掘された当時の生活雑器から装飾品、さらに台所の作りといった生活全般の様子から容易に窺えます、また、後者については、例えばモザイク画の主題となっている「ものづくし」は、16世紀マニエリズム(アルチンボルドなど)、あるいはバロック時代のナポリの静物画を思い起こさせます。「メメント・モリ」も、ルネサンス期の絵画ではお馴染みの画題です。(ただし、キリスト教世界では死後の世界—天国や地獄--を人質にとって、信徒を信心・善行へと誘導するためのスローガンであるのに対し、古代ローマではむしろ「命短し、恋せよ乙女」的な現世享楽主義の意味合いが濃かったと解釈されているようですが…) また、彫刻については古代ギリシャ時代のそれの模刻が数多く見られるようで、当時すでに3次元の立体象を正確にコピーする技術もあったとのこと。コピーの対象となったアルカイック様式は、紀元前8〜5世紀ぐらいまで遡るとのことで、21世紀に暮らす我々にとっての中世末期〜ルネサンス期にあたります。古代ローマの人々も「文藝復興」をやっていたのかも? スフインクスの彫刻に至っては、ギュスターブ・モローや世紀末の象徴主義芸術、あるいはアール・デコのそれかと見紛うばかり(頭の中で時代が倒錯してしまいます)。 というわけで、展覧会を回っているうちに沸々と湧いてきたのは「結局、人類というのは2000年この方ほとんど変わっていないんじゃん…」という、なんとも撫然とさせられる感想。変わっているのは道具立てだけで、(現下の欧州での戦争も含め)やっていることに何一つ新しきものなし、というわけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 20, 2022 09:06:34 PM
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