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カテゴリ:美術
本日午前は、東京・上野の国立博物館で開催中の表記展覧会に参上。お目当ては、先日TV番組(日曜美術館)で紹介された吉山明兆(きっさんみんちょう)の仏画、なかでも2008年から14年の歳月をかけて最近ようやく修復成ったという「五百羅漢図」です。
亭主はこの番組を見るまで「江戸時代までは雪舟とも並び称されるほど高名な画人」という明兆のことを全く知らず。もちろん京都の東福寺という禅寺にも馴染みがなく、明兆がそこで専属の絵仏師として手がけた数多くの作品が今日まで伝わっていることも番組で初めて知りました。(ちなみに「特別展」とあるのは、この展覧会で前述の五百羅漢図すべてを勢揃いさせよう、という試みも指しています。) さて、10時ごろ上野に到着して見ると、ある程度予想していた通り駅前は結構な人出です。しかも外国人観光客がかなりの数(パッと見たところ2-3割ぐらいか)。とはいえ、博物館のチケット売り場はそれほど混んでおらず、自販機で待たずに購入できました。 会場の平成館に入ると、初めの展示室では東福寺の創建にかかわる歴史的資料が中心で、開祖の円爾という禅僧の事績にまつわる書画、木彫、仏具が並んでいます。特に目を引くのが円爾と歴代の後継者を描いた肖像画の掛け軸で、日本でもちょうどこの頃(14世紀末)から個人の人物を伝える肖像画が描かれるようになったとのこと。 後でわかったことに、展示は大きく5つのコーナー(章立て)に分かれており、第1章「東福寺の創建と円爾」、第2章「聖一派の形成と展開」とそのような展示が続き、そろそろ「で、明兆はどこだ…」と思い始めたところで、第3章「伝説の絵仏師・明兆」のコーナーに遭遇。ここで、彼の肖像画(江戸時代の作)から始まって、今回の目玉である東福寺所蔵の五百羅漢図15幅、達磨図、白衣観音図など数十点の作品とご対面。 ところで、件の五百羅漢図は、一幅に十人の羅漢(ブッダの弟子たち)をいろいろな状況の下で描き分けた絵50枚からなります。そのうち、東福寺に現在まで伝わり、大修復を終えて公開されたのが45幅で、これらは会期中3週間ごとに15幅ずつ入れ替え展示となっていました(今回は最後の3週間ということで第31号〜45号が展示中)。その他に、江戸時代に狩野孝信に復元された2幅、および東京・根津美術館所蔵の2幅が(やはり期間限定で)展示されています。これで都合49幅ですが、最後のもう1幅はこれまで所在不明だったところ、なんとこの展覧会の準備の過程でロシア・エルミタージュ美術館に所蔵されていたことが判明した、とのことで、その写真が展示されていました。 このコーナーで面白かったのは、それぞれの羅漢図にちょっとユルめのお題が付けられているのと、さらにいくつかの作品では対象の羅漢図を4コマ漫画に区切り直して吹き出しでセリフまで入れたものが解説がわりに掲示されており、描かれた情景を理解する上で大いに役に立ちました。 続く第4章では「禅宗文化と海外交流」というお題の下、東福寺の開祖をはじめ歴代の後継者が留学した中国・南宋から持ち帰った文物などが、また最後の第5章「巨大伽藍と仏教彫刻」コーナーではさまざまな木彫類が展示されていました。中でも印象に残ったのはブッダの最初の二人の後継者とされる「迦葉・阿難」の立像で、即座にその昔フレンツェでドナテッロの彫像「預言者ハバクク」を見た時の興奮が蘇りました。 というわけで、これまでほとんど馴染みがなかった鎌倉・南北朝・室町時代の仏教美術の奥深さを垣間見て大いに知的刺激を受けた展覧会でした。 最後に、亭主が今回の展示物を通じて最もお気に入りとなった書を一幅ご紹介(画像は展覧会カタログより)。吉山明兆が東福寺に入るに際し世話になり、その後も絵の師匠であった大道一以という禅僧が残した遺偈(ゆげ)です。遺偈とは臨終に際して禅僧が残す四句の詩で、仏の功徳をほめたたえるものだとか。死を間近に控えての書ということで、これを書いた本人がどういう精神的・身体的状況にあったのかはわかりませんが、とにかく全ての束縛を脱したかのうような自由な書体がえも言われぬ視覚的快感を誘います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 24, 2023 07:35:11 AM
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