731746 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

未音亭日記

未音亭日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

未音亭

未音亭

Calendar

Rakuten Card

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

未音亭@ Re[1]:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) tekutekuさんへ これまた情報ありがとうご…
tekuteku@ Re:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) ジョゼフ・ペインのライナーノーツに関し…
tekuteku@ Re:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) ジョゼフ・ペインのライナーノーツに関し…
未音亭@ Re[1]:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) Todorokiさんへ コメントありがとうござい…

Freepage List

Headline News

September 10, 2023
XML
カテゴリ:美術
このところ、亭主は日曜日朝に5分間だけ放送される表題のテレビ番組に見るたびに色々と考えさせられています。

番組ホームページには、「日本各地の“表現せずにいられない"アーティストを紹介する番組。 既存の美術や流行・教育などに左右されない、その独創的な美術作品は世界から注目を集めている。 誰のためでもなく表現し続ける人たちが放つ、圧倒的な凄(すご)み。」などとあります。

これまで番組で取り上げられた「アーティスト」は、心に何らかの問題(障碍あるいは屈託)を抱えている人たち。彼らは文字通り毎日を何とか生き抜くために、止むに止まれず表現し続けているように見えます。

彼らが創り出す作品は「アール・ブリュット」(生の芸術)や「アウトサイダー・アート」と呼ばれ、既存の美術教育や文脈などに左右されないアート作品として紹介されていますが、日本ではその一部分である「精神障碍者の表現」という狭い文脈で捉えられることが多いとか(上記番組もその部類に属する?)。広い意味では、例えば児童画などもアール・ブリュットと見なされるべきものと思われます。

調べてみると、「アール・ブリュット」という呼び名は、フランスの抽象画家、ジャン・デュビュッフェ(1901-1985)に由来し、彼が両世界大戦間期に集めていた精神障害者による創作物のコレクションを、戦後にそう名付けて公開し始めたのが始まりとのこと。日本での用法は、どうやらその辺に縛られているのかもしれません。

とはいえ、亭主から見ると、彼らの創作行為こそは、我々が知る近・現代の「芸術家」たちの真に内発的な表現意欲に発する創作と全く同じではないか、と強く感じられます。あけすけな言い方をすれば、「カネ(報酬)のため」ではなく、それなしには生きられない、という切迫した表現行為です。

これで亭主がすぐに思い出すのはヴィンセント・ヴァン・ゴッホの例。世の中にうまく適応できず職を転々とし、晩年に徐々に精神を病んでいく中で(享年37歳!)、まさに生きるために描かれたとしか言いようのない絵画は、どれも独特な表現に満ちています。

一方、職業画家も、報酬をもらうのは生きるため(生活のため)、という点では一見同じに見えます。が、ビジネスとして成り立つためは作品が売れなければならず、見る側・買う側(お客さん)の好みに配慮するという点は無視できません。したがって、「売れる」作品を創ることと、自分が「真に表現したいもの」とが一致するとは限らないのではないかと想像します。(...亭主は夭折の画家、石田徹也のことを思い浮かべます。)

これを一人の人間の立場から見れば、アートにかかわる感情には「他人の表現の享受したい」という欲求と「自ら表現したい」という欲求があるわけで、日常において前者の需要を満たすのがプロのアーティスト、後者を満たすのが趣味としての(無報酬での)創作活動ということになります。

そして、「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」を称揚することの意味は、各自の人生にとって「自ら表現する行為」が「他者の表現の享受」に勝るとも劣らないほど重要なことを明らかにすることにある、と言えるのではないか。

これはそのまま音楽の世界にも当てはまります。プロの音楽家のように訓練を受けていない一般人といえども、歌や楽器の演奏で自らを表現したいという欲求は、人によって程度の差こそあれ、「生きるため」の止むに止まれぬものでしょう。(カラオケがいかに愛されているかを見れば一目瞭然。)

その点で、コロナ禍の下で叫ばれた「音楽は不要不急ではない!」というスローガンは、主に職業音楽家の立場、あるいは一般人から見れば「他者の表現の享受」、という一方のみを擁護するだけだったという点で片手落ちだったように見えます。

プロの音楽家、特にクラシック音楽界における演奏専業の音楽家は、趣味の音楽演奏を単なる素人の気晴らし、あるいは暇潰しと見なしているのではないかと想像されます。(20世紀的な芸術至上主義から見れば、なおのことそうでしょう。)

しかしながら、國分功一郎氏はその著書「暇と退屈の倫理学」の中で、「生きることとはほとんど『退屈と絡み合った気晴らし、気晴らしと絡み合った退屈』に際すること、それに臨み続けることではないだろうか?」と問いかけています。これは、心を病んでいるかどうかとは関係なく誰もが直面する現実です。

「趣味の音楽(あるいはお絵かき)」を単なる暇潰し、と侮るなかれ。なぜなら、それは我々が生きることの意味そのものにも関わっているからです。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  September 10, 2023 08:48:50 PM
コメント(0) | コメントを書く
[美術] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X