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カテゴリ:雑感
…さてわれらのヨシ英雄は、部落の英雄たちの間では、欲をかき過ぎるという定評はあるが、考えの緻密さでは群を抜いている。ある晩、寺に来て茶話の間に彼はしみじみとこう云う。
———先生よ。良心って自分の中の他人だな。 ヨシ英雄よ、よくぞ云った。 (「気違い部落周游紀行」、きだ みのる、冨山房百科文庫pp.209) 夏休みの読書で表題の本を読みながら、亭主は「気違い部落周游紀行」の引用部分を頻りに思い出していました。 アダム・スミス(1723-1790)は18世紀中葉—後半に英国(スコットランド)で活躍した哲学者で、世間的には近代経済学の基礎となった「国富論」(1776)の著者としてよく知られています。その中に出てくる「神の見えざる手※」という言葉はとりわけ有名で、俗に云う「市場原理」やひたすら経済合理性にもとづく自己の利益を追求する生き物としての人間観(エコン)を提示したかのように誤解され、さらには近年のいわゆる「新自由主義」的な経済政策に言質を与えたかのように錯覚されたこともあるようですが、最近ではそのような誤解は解かれつつあるようです。 そのスミスが「国富論」に先立って世に問うた処女作が「道徳感情論」(1759)。邦題の〇〇論という表現からはひとつの試論という印象を受けますが、英語の原題はThe theory of Moral Sentimentsとあるように、本書は道徳心という感情の由来を理論的に解明した、というノリで書かれており、直訳である「道徳感情の理論」の方がより内容に相応しい気がします。 亭主が手にしたのは日経BP版の邦訳で、アマルティア・セン氏による序文も入れると総ページ数750ページ、厚さ4cm(!)という大冊ですが、本編を読み始めてすぐに分かることは、その文章が極めて平明であること、さらに無数の具体的な歴史的事例やエピソードを引用しながらの論述になっていることです。 これらの特徴は、彼の生きた時代がいわゆる啓蒙主義の時代だったことを考えると腑に落ちます。啓蒙主義運動が起きる以前(17世紀以前)のヨーロッパ世界では、階級の上下に関わらず人生のあらゆる側面を宗教(キリスト教)が支配していました。ところが、啓蒙思想では宗教に代わって「理性」を思想信条の拠り所にしようと考えます。そして、理性を有効に働かせるためにはこの世界についての(キリスト教神学的解釈抜きの)知識が必要になります。そこで、啓蒙主義運動の一環として、フランスでは百科全書派と呼ばれる人たちが網羅的な知識体系の構築を目指して活躍しました。 スミスの著作の読者は、同業者(大学関係者)はもちろんのこと、今日でいえばおそらく中学、あるいはせいぜい高校生程度の知識と思考力を持った一般の読者(商工業者階級の出身?)をも想定しており、その分平易な表現になっていると想像されます。また、無数の具体的な事例やエピソードを列記するやり方は、単に話をわかりやすくするだけでなく、そこに百科全書派に通底する「枚挙主義」、あるいは「博覧強記主義」を見ることもできるでしょう。これらの事例が主に古代ギリシャ・ローマ時代の文献から採られている点からは、キリスト教からの影響を排除しようという意図が伝わってきます。 上記の特徴や時代背景を踏まえ、ここであえて本書を「速読」したい読者のためのウラ技を披露すれば、スミスの主張を裏付けるために引用された多数の事例やエピソード部分をさっと斜め読みで済ませる、という手が使えます。(誰かがこの手で「要約版」を作ってくれると大いに世の中のためになる?) さて、ウラ技を使ってまで自分で読むのもメンドーだ、という読者のために、本書の内容を大胆に要約すると、スミスの主張は以下のようになります。 (1)道徳感情(倫理)の源泉は「理性」である。 これは、啓蒙主義者のスミスとしては当然の結論ともいえますが、当時としてはかなり画期的だったと思われます。なぜなら、それ以前には倫理とは「神の命令」(例えばモーゼの「十戒」など)という考え方が支配的だったからです。(あぁ、この「理性」対する無邪気とも言える信頼がなんとも眩しい…) (2)ある感情・行動が道徳的かどうかは「中立な観察者」が理性に基づいて判断する。 スミスは道徳的判断の基準として、本文中の何箇所かで「中立な観察者」という概念を持ち出しています。重要な点は、これが(我々に命令する)神ではないことです。「中立な観察者」をあえて言い換えれば「理性を代弁する第三者」となるでしょう。そして、この理性に基づいた「共感」こそがそのような判断の基礎になると説きます。これはまさに、我々の心の中で働く「良心」そのもののようにも思われます。ヨシ英雄がいう「自分の中の他人」とはまさに「中立な観察者」のことです。 (3)道徳的に悪とされる感情・行動は、それ自体で否定されるものではない。 これは、本書があくまで「道徳感情の理論」を述べたもので、修身の教科書のように「道徳そのもの(善悪)」を垂れるものではない、という点を明確にした点で極めて重要なポイントです。実際、スミスは嫉妬心や復讐心を単に否定するのではなく、それらの感情がどのような状況で生まれ、「中立な観察者」からどう見えるのかを論じています。一方で、彼は「徳」の判断基準として「効用」を使うことも否定してます。言い換えれば、単なる「損得勘定」(〜私的利益の追求につながる)は、道徳的には善悪いずれの側にも立ち得る、というわけです。 以上、亭主から見てもスカスカのまとめになってしまいましたが、上記三点を通底する考え方の基底として強く感じられるのは、英国流の「常識」=コモン・センスです。ヒトは持って生まれた快・不快の感覚があり、自らの感情・行動に対する判断だけでなく、他者の感情・行動にたいして理性的に「共感」できるかどうかを判断するのもそのような感覚です。持って生まれた感覚が道徳感情の源になる、というのはなんとも常識的過ぎて肩透かしの感もありますが、何かと小難しく考える現代の我々にはかえって新鮮ともいえます。 また、(3)に出てくる「復讐心」について、スミスはそれを「自然が与えたもの」と言います。(ほかにもいくつかのネガティブな感情についてそのように明言しています。)「自然が与えたもの」を今風の表現に直せば、「ヒトが生物進化の過程で身につけたもの」とも言えます(快・不快の感覚も同じ)。ヒトが抱く感情(やそれに付随する行動)は、それが生存に有利だったから身についたもので、それ自体に善悪はないのだ、と言い換えれば、スミスは進化生物学を何百年も先取りしていたとも言えます。その点、もしかするとスミスはどこかで「理性」の限界をも見据えていたのかもしれません。だとすれば、彼は「感情=速い思考、理性=遅い思考」とみなし、ヒトの経済活動を正しく理解するには両方とも重要だ、と考える今日の行動経済学の元祖と言うこともできます。 最後に、「国富論」との関係から一言付け加えるならば、スミスがレッセ・フェール的な市場原理主義者でもなければ、「貪欲は美徳だ」などという利益至上主義とも無縁の思想家だったことは明らかです。なぜなら、彼はヒトが「良心」を持って市場(あるいは社会)に関わる生き物だと考えていたからです。 注※ 後日調べたところ、「国富論」の中では「見えざる手(invisible hand)」とあるだけで、「神の(of God)」という部分はないとのこと(ウィキペディア)。著者がキリスト教の影響を排除する立場で一貫していたことがわかるエピソードです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 10, 2024 07:45:06 AM
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