2798848 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

悠遊自手記@kyoto

悠遊自手記@kyoto

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

ふろう閑人

ふろう閑人

サイド自由欄

カレンダー

お気に入りブログ

足尾銅山跡の見学 New! ビッグジョン7777さん

カープファンの娘、… New! 曲まめ子さん

1ヶ月ぶりの健康体操… New! maria-さん

朝が来る。 New! 歩楽styleさん

回春ボランティア … New! 柳居子さん

コメント新着

おのの大町豆腐@ Re:陶器の街、学校の街なればこその表示板(10/31) New! 昨日に続いてお邪魔します(笑)。 ふろ…
ムラマサ@ Re:哲学の道 舗装計画浮上とか(10/30) New! アスファルトだけではなく、舗装した表面…
ムラマサ@ Re:哲学の道 舗装計画浮上とか(10/30) New! アスファルトだけではなく、舗装した表面…
ムラマサ@ Re:哲学の道 舗装計画浮上とか(10/30) New! アスファルトだけではなく、舗装した表面…
naomin0203@ Re:陶器の街、学校の街なればこその表示板(10/31) New! これはかわいくって目を引く陶板ですね。 …

フリーページ

2024.10.13
XML
カテゴリ:散策
10/4に書きましたこの本ですが・・・


詠めば読むほど目からウロコの内容が次々なのですが、その内のひとつを!!!

枕草子を書いた清少納言
が仕えたのは​一条天皇​の定子(ていし)皇后だったのですが、源氏物語を書いた紫式部が仕えたのは同じく条天皇の彰子(しょうし)皇后 で有ったこと、そして定子皇后と彰子皇后はいとこで有ったことを知りました。 

枕草子と源氏物語がそんな狭い世界で書かれていたとは夢にも思わなかったのでした。

さて、ここからが本論なのですが・・・・その定子皇后の御陵がホン近くの今熊野観音の横にあって鳥戸野陵」であると書いてあったのです。

鳥戸野陵と言えば昔訳も分からず一度お参りはしたけど​、それだけで、その前をしよっちゅう通りながら関心もなかった御陵だったのです。
その読み方も「とりどの」と思っていたのですが、「とりべの」と言うのも初めて知ったのです。

・・・・で早速その鳥戸野陵へ行って来ました。
みなさんご存知の東山トレイルの泉涌寺を過ぎ、今熊野観音を過ぎて直ぐの山側です。


(この写真は通り過ぎて逆から撮っています)

この石碑はいつもいつも見ながら通っていたのですが、階段を登ってお参りしたのは今までたった一回だけです。




階段と石畳を歩くこと3分ほどで御陵です。






確かに一条天皇皇后定子 の名前が・・・・・


お参りを済ませて引き返そうとすると・・・何んとこんな景色が・・・

そう言えば、ネタ本の「女人京都」にも御陵から京都タワーが見えると書いてあったのです。

ついでながら、一条天皇陵の所在地を調べると、嵯峨の天龍寺内に、彰子皇后陵を調べると宇治にある事が分かりました。
さて、紫式部のお墓は前に数回書きましたが堀川通り北大路下ルにあるのですが・・・
清少納言のお墓を調べると、何と四国は徳島の鳴門にあるとか。
定子亡き後数奇な運命を辿ったようです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.10.13 20:59:48
コメント(4) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X