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2024.10.13
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カテゴリ:散策
10/4に書きましたこの本ですが・・・


詠めば読むほど目からウロコの内容が次々なのですが、その内のひとつを!!!

枕草子を書いた清少納言
が仕えたのは​一条天皇​の定子(ていし)皇后だったのですが、源氏物語を書いた紫式部が仕えたのは同じく条天皇の彰子(しょうし)皇后 で有ったこと、そして定子皇后と彰子皇后はいとこで有ったことを知りました。 

枕草子と源氏物語がそんな狭い世界で書かれていたとは夢にも思わなかったのでした。

さて、ここからが本論なのですが・・・・その定子皇后の御陵がホン近くの今熊野観音の横にあって鳥戸野陵」であると書いてあったのです。

鳥戸野陵と言えば昔訳も分からず一度お参りはしたけど​、それだけで、その前をしよっちゅう通りながら関心もなかった御陵だったのです。
その読み方も「とりどの」と思っていたのですが、「とりべの」と言うのも初めて知ったのです。

・・・・で早速その鳥戸野陵へ行って来ました。
みなさんご存知の東山トレイルの泉涌寺を過ぎ、今熊野観音を過ぎて直ぐの山側です。


(この写真は通り過ぎて逆から撮っています)

この石碑はいつもいつも見ながら通っていたのですが、階段を登ってお参りしたのは今までたった一回だけです。




階段と石畳を歩くこと3分ほどで御陵です。






確かに一条天皇皇后定子 の名前が・・・・・


お参りを済ませて引き返そうとすると・・・何んとこんな景色が・・・

そう言えば、ネタ本の「女人京都」にも御陵から京都タワーが見えると書いてあったのです。

ついでながら、一条天皇陵の所在地を調べると、嵯峨の天龍寺内に、彰子皇后陵を調べると宇治にある事が分かりました。
さて、紫式部のお墓は前に数回書きましたが堀川通り北大路下ルにあるのですが・・・
清少納言のお墓を調べると、何と四国は徳島の鳴門にあるとか。
定子亡き後数奇な運命を辿ったようです。





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最終更新日  2024.10.13 20:59:48
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