カテゴリ:ひとりごと
柳沢桂子さんの、新訳 般若心経を読んでいて
付属のDVDを観た。 参考HP 科学者であり、生命学者である筆者と、その闘病生活のうえでみつけた 「空」の境地。。。 本は美しい絵でちりばめられて、 見てるだけでもほっとする DVDを見ていて、すこしうごかされられるものがあった・ しかしながら、生命学者的な見解にいささか惑わされたり ふしぎな感覚だ。 苦も苦のままうけとめる 空をしれば、すべてのものはひとつだとわかる そんなこと、つらつらかんがえる。 最近のわたしには、富に「境界」というものがあいまいだ。。。 これは別に今にはじまったことではなく、 いつだって、境界などなく、あいまいだったのだが。。。 これでもなく、あれでもなく、それでもなく、、、、 というのと、 これもそうで、あれもそうで、それもそうだ、、、 ということに、わたしのなかではさほどの違いがない。 映像のなかで、柳沢さんが、 あの雨の激しくふる中で、樹が雨に溶けてひとつになっていたとき、 この宇宙はすべて粒子でできていて、ああ、ひとつ、みな同じなのだ、と 実感した、と語っていた。 そう、 そんな感覚、 そうなのだ。 夕暮れの散歩道、 ちいさな黄色い野の花を見る。 朝焼けの美しい湖岸のほとりに 白くちいさな花を見る。 コンクリートジャングルの乾いたアスファルトに ピンクの美しい花を見る。 その花の名前はなんという? それらはすべて人間がつけた単なる名前だ。 もし、その花々に共感共鳴するのなら、 名も無く 実体もなく わかたれてもいない。 それはそのまま私であり、 私でないものだと、、、 誰が知る 知る人もいなければ 知られるものもない さらさらと さらさらとながれるもの 自我を削る そこにただよう あるがままで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 26, 2006 09:08:54 PM
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