産経新聞は自殺を理解していない
今日、10月31日産経新聞の「主張」は理解に苦しむ。生徒の自殺について書かれた記事だ。■【主張】いじめ自殺 死に急いだら負けになる最初に私の感想を書いておく。産経新聞はいじめと自殺を理解していない。その理由は以下に述べる。まず、タイトル。「死に急いだら負けになる」とのこと。もういいかげん人生を勝ち負けに例えるのはやめよう。どうしてそこまで競争させようとするのか。私には理解に苦しむ。自殺するのは「負けても構わないから自殺する」のであって、このタイトルは意味がない。産経は自殺を考えている子に死の瞬間まで競争させたいのか。まるでチキンレースのようだ。自殺で「犯人探し」をするのがよくないのは同意できる。だがその後がまたひどい。こう書いている。「自殺は、いじめに屈して負けを認めるようなものだ。真相も分からなくなる」「いつかはいじめた相手を見返すくらいの気持ちをもって、心身共に強く生き抜いてほしい」自殺するのは現状から逃げたいからだと私は考える。この考えが産経にはまったく不足しているらしい。自殺する人は「真相を明らかにする」ことなど考える余裕はない。そんな余裕があるなら自殺せず、別の方法を考える。この産経の社説は独善的で自殺する側のことなど考えていないように感じる。とてもではないが私は賛成できない。「いじめた相手を見返すくらいの気持ち」「心身共に強く生き抜いてほしい」も同様だ。いじめた相手を見返すことを考えるなら、自殺などしない。いじめにあった子どもに「強く」とか訴えて、効果のある子もいるだろう。しかしそれはごく一部に過ぎない。いじめられた側は余裕がないからこそ自殺を選ぶ。産経の「主張」執筆者は、そんなことも考えられないのか。この産経の記事は自殺を考えたことのない方が書いているとしか思えない。いじめにあっている子を勇気づけるどころか逆効果が心配になる。ため息が出る無意味な記事だ。私はそう評価する。ではいじめられたらどうするか。それはすでに以下の記事で書いた。いじめと自殺が止まらない大事なことは何だろうか。それは、勝ち負けではない。いじめた相手を見返すことでもない。今、強く生き抜くことでもない。それができるくらいなら苦労はしない。「親に心配をかけるから」と無理をすることもない。生徒は親を安心させるために存在しているのではないのだから。無理に行くくらいなら学校など行かなくていい。信用できないなら先生にも相談しなくていい。でも誰か近くに相談できる人がいればその人にだけ話そう。いじめのこと。学校であったことを。大事なことは今死なないこと。ただそれだけだ。産経は国旗、国歌の教育現場での強制に熱心な新聞だと私は評価している。「強く」とか書けば生徒が強くなれるなら教育も簡単にできる。単純明快でわかりやすい。いかにも右翼的な発想だ。また新聞の社説について私は以前、以下のように書いた。国旗と国歌について 物事にはいろんな考え方がある。自殺もまた同じだ。だが社説は新聞の顔でありながら一つの考えしか書けない場合が多い。論説委員は新聞社に何人かいても実際執筆するのは一人だろうから。複数の考えがあったとしても「両論存在する」というところまでだ。ならば社説が出来上がるまでの過程をぜひとも公開してほしいものだ。今回のような独善的な社説を読むと、それを切に願う。産経新聞には、自殺を考えたことのある人はいないのか。社説にはもっと自殺を考えている生徒の気持ちがわかる人を執筆者にしてもらいたい。他の論説委員はこの社説をどう思っているのか。私は気になった。論説委員がみんなこの記事の意見に賛成しているとしたら。産経は恐るべき全体主義的な新聞社だ。社会の木鐸たる新聞がこの程度の記事を書く。これで自殺者が減るとは思えない。***********************関連記事いじめについて「いじめ」辛いときは辛いといおう “死ぬな、死なせるな”(iza)学校は日本社会の縮図。自殺は社会問題の象徴。 ***トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。その場合リンクは必要とはしません。意見があればメッセージでどうぞ。ただし荒らしと挨拶できない人はお断りです。今のところメッセージは全て読んでいます。