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2024年08月25日
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​マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習20​

5月から三か月間にわたってこの学習は中断しました。再開するにあたって、これまでの学習の流れを確認する必要があるんです。がしかし、それは簡単なことではないんですね。
今回の課題ですが、この先の学習を進める上で、これまでの学習の流れを確認しておくことです。





​一、あらためて感じた点​

最初に、この中断していた間に、気がついたり、感じたりしたことですが。

1、「ヘーゲル弁証法」とはいったい何なのか。
弁証法について書かれた解説書はいろいろあるじゃないですか。弁証法ってなに?です。

ヘーゲルが『精神現象学』序論で、こんな紹介をしています。

私などは、これはヘーゲルが弁証法について述べた個所の一つだと思います。

『学問が組織されるには、ただ、概念それ自身の生命にまかせさえすればよいのである。図式による場合は外的に現存在にはりつけられる諸規定も、学問においては、充実した内容の魂としてみずから運動していく。そのさい、存在者がどう運動していくかというと、それは、一方では、自ら自分に対して他であるものとなり、他者に内在する内容になる。他方では、この展開された自分の現存在を、自分のうちに取りもどす。ということは、すなわち、自分自身をそこで一つの契機たらしめ、自分を単純化して一つの規定とする。一方の運動においては、否定性は、区別し、現存在を定立するはたらきである。他方の、自分へ帰る運動においては、否定性は、規定された単純性が生ずることである。このようにして内容は、その規定が何か他のものから受けとられ、外からあてがわれたものではないことを示している。内容が自分自身に規定を与えるとともに、みずから進んで自分を契機となし、全体のなかに位置せしめるのである。』(中央公論社 世界の名著 山本信訳 P130)


この「序論」の一文ですが、私などは今、マルクスの『経済学哲学手稿』を学習してますが、その中で、『精神現象学』の最終章「絶対知」を一節を検討しています。これはヘーゲルがその箇所を簡潔に述べている部分なんですね。
「ものごとを知るというのは、意識の対象性を克服することだ」として、「絶対知」では、このことを八つの文節にして全面的に述べているんですね。細かく検討していますが、これはその全体をとおしてヘーゲルは何を言いたいのか、序論のここでアドバイスしているものとして読みました。

同じ弁証法ですが、論理学からみちびきだした法則とは、だいぶ様相が違うと思います。
しかし、ここで紹介されているのも弁証法なんですね。

2、主題とは離れますが、私などはここには大事な問題があると思います。
一つは、マルクスの思想ですが、それがその個人的な努力としていかにすばらしいものであったとにしても、それはドイツ古典哲学のヘーゲルの成果を受け継いでいる。その批判的検討をとおして、必然的な発展としてつくりだされているということですね。この近代民主主義の成果の必然的な継承・発展させたものとしてある。この継承・発展の側面を、内容をあきらかにすることも大事だと思うんです。それは、成果を点としてみるのか、大きな流れの中でみるのか、どのような大道のなかでの問題なのか、それによって姿が違ってくると思うんです。
私などがマルクスの『経済学哲学手稿』を学習し、ヘーゲル哲学を学ぼうとしているのも、そうした思いもあるからなんですが。

もう一つは、哲学の問題です。
哲学というのは、一見するとわかりにくい、日常の生活感覚からはほど遠いように感じるのもわからなくはないんですが。だいたいの哲学書はそうしたものですが。しかし哲学は意外と、大事な原理的な、一般的なこととして、日常性とも具体的な関連をもっていると思います。疎遠な状態にあるのはもったいない。
それと、日本の歴史的な学術の成果ですが、哲学の分野にある人たちも、そのヘーゲル研究者の人たちも、おそらく、あちこちにその努力の成果としてあるんですよ、きっと。今回の山本信氏の翻訳の成果もまたしかりですし、この間のヘーゲル学習でも一部分ですが、その成果を学ばせてもらいました。だけど、私などの勝手な感想ですが、現代社会の全体の中では、そうした努力の全体的な姿が、つくられた成果が、広く一般に紹介されることがないんですね。それは必ずしも、私などの不勉強のためというだけじゃないと思うんです。この問題はじつにもったいない話です。

​二、これまでの学習の流れ​

さて、本題です

『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」ですが。
国民文庫では、P205-241の37ページ、文節に番号をつけると第1分節-65文節です。

これまでの学習の流れを整理してみました。
マルクスはこの著作でどのようなことを問おうとしているのか。

序論
 1、青年ヘーゲル派のヘーゲル弁証法への無自覚な対応    第1文節-4文節
 2、フォイエルバッハのヘーゲル弁証法論          第5文節-8文節
  フォイエルバッハの業績を3点
  フォイエルバッハのヘーゲルの「否定の否定」に対する説明
マルクスの結論的な指摘
 3、マルクスの「否定の否定」の受けとめと、課題意識    第9文節
 4、ヘーゲルの哲学体系を確認する             第10文節-11文節
 5、マルクスのヘーゲルの二重の誤りの批判         第12文節-13文節
 6、ヘーゲルの最終成果としての偉大なもの-弁証法     第14文節
マルクスの検討課題
 7、マルクスの課題提起-ヘーゲル哲学の一面性と限界をみる 第15文節
   さしあたりの問題点                   第16文節
   問題の主要点                      第17文節-21文節
マルクスのヘーゲル弁証法の検討作業
 8、「絶対知」章の意識の対象の克服から、全面的に8点を  第22文節
 9、1点・2点「自己意識の外在化が物を措定する」について  第23文節-32文節

ここまでの学習では、以上のところまで来ました。
重要な箇所に来ていることがわかるかと思います。

次回ですが、
 10、3点-8点「他在そのものの中で自己のもとにある」について、
第33文節からすすむことになります。


今回は、以上です。






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Last updated  2024年08月25日 16時46分12秒
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