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2024年08月26日
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​マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習21​

マルクスの『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」を学習しています。
マルクスのヘーゲル『精神現象学』「絶対知」の検討から、ヘーゲル弁証法を検討しています。
しかし今回も、自分の問題認識の整理です。





​一、そもそも「弁証法とは何か?」ですが​

私などが弁証法の言葉をに、最初に知ったのは、エンゲルス『空想から科学へ』です。その第2章「ドイツ古典哲学」-ヘーゲルの紹介からでした。考え方の特徴の問題として読んでいたと思います。

その後、やはりエンゲルスの『フォイエルバッハ論』も読みました。これは、科学的社会主義の唯物弁証法とは何か、どのようにつくりだされてのか、そんな問題意識で読んでいました。

また、レーニンですが、『哲学ノート』をみると、世界大戦のさなかにあって、ヘーゲル『論理学』から弁証法を学びとろうとして、懸命に学習していたという記録が残されています。

「弁証法」といえば、辞典などでは、1.対立物の闘争、2.量から質への転化、3.否定の否定、この3つの法則があると解説されています。

弁証法というと、哲学の教養や知識ということもありますが、実際の自然や社会、人間の思考などの世界の法則性でもあるとの洞察でもあり、ものごとに対処する方法だとの指摘もあります。

そうしたことから、いったい「その弁証法とは何んなのか?」、問題とするところで、
自分自身の認識や、とらえ方が問題になっているわけです。

​二、「弁証法」の問題は、いつから問題になったのか​

やはり、意識的に問題にしていったのは、近代のドイツ古典哲学のヘーゲルやマルクスからですね。
ヘーゲル(1770-1831)、マルクス(1818-1883)

では、ヘーゲルはいつから弁証法を問題にし出したのか。
それは最初の著作『精神現象学』(1807年)ですね。
『論理学』、エンチクロペディー、『法の哲学』、『歴史哲学』、広大な領域で探究しています。

前回、『精神現象学』序論から、その一節を紹介しましたが、今回も別の一節を紹介しましょう。

「哲学に求められている肝心なことは、命題の弁証法的運動を叙述すること。命題は真なるものが何であるかを表現すること。真なるものは、本質的に主体である。主体である以上、それは、弁証法的な運動、すなわち自分自身を産み出し、展開し、そして自分に帰ってゆく過程にほかならない。』(『世界の名著』中央公論 山本信訳 P141)

たしかに、ヘーゲルは弁証法を意識的にとらえ、表現しようとしています。ヘーゲルは1831年にコレラにより62歳で亡くなりました。その思想は、社会に大きな関心と影響を与えながらも、その弁証法とは何かの基本問題は、当の本人以外には明確な意識的認識にならなかった。青年ヘーゲル派の人たちは問題意識すらならなくて、またフォイエルバッハにおいても明確にしきれなかった。


そこにマルクスが出てきて、弁証法について意識的に検討した。そしてヘーゲル弁証法を批判した。
「ヘーゲル法哲学批判から」(1843年)、そしてこの「1844年の経済学哲学手稿」です。
ヘーゲルが1831年に亡くなって、その10年余の後のことです。

マルクスのヘーゲル弁証法に対する評価ですが。

「ヘーゲル現象学と、その最終成果は、運動させ産出する原理としての否定性の弁証法であり、その偉大なる内容は・・・」(『経済学哲学手稿』国民文庫 藤野渉訳 P216)

その弁証法の偉大な成果とは何なのか、それを評価して、引き継ぎ、生かそうとしています。

ヘーゲル弁証法というは、すばらしい洞察です。「弁証法的な運動、すなわち自分自身を産み出し、展開し、そして自分に帰ってゆく過程にほかならない」など、基本洞察をもっているんです。

が、しかし、同時にその著作を読まれた方は分かると思うんですが、なかなか大変です、わかりにくい。そのままでは玉石混交で、使えるものではない。このヘーゲル弁証法のどこが問題なのか、これを批判する課題があり、このことをマルクスやエンゲルスが努力していったわけですね。

こうした問題の輪郭については、今日では天下周知の、常識的な状況だということです。
だけど「わかっている」ということと、実際にそれを苦労して確かめるということとはちがいます。

この探究ですが、日本では、戦後民主主義のもとで、公に自由に出来るようになった事柄ですね。
戦前であれば、治安維持法違反で、犯罪者として、取り締まられたわけですから。
その後遺症が、民主主義への鈍感さとして、あちこちに残っているわけです。

​三、マルクスはどの様にヘーゲル弁証法を批判してるか​

『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」ですが。

どの様な組みたてになっているか。

1、最初に、フォイエルバッハのヘーゲル哲学批判の功績を指摘するとともに、
どちらかと言えば、それは唯物論の見地からの批判で、弁証法が十分検討されていないこと。


2、次に、マルクスは、序論というか、前置きをアドバイスしています。
ヘーゲル哲学の全体を視野にして、とくに『精神現象学』を検討した結果からの指摘ですが、

 〇ヘーゲル弁証法の成果を紹介しています。

  「ヘーゲル現象学と、その最終成果は、運動させ産出する原理としての否定性の弁証法であり、その偉大なる内容は・・・」(P216)
 同時に問題は、ヘーゲル弁証法にある一面性と限界についての析出です。
 〇「あらかじめ」はっきりしている問題と、
 〇「主要な論点」の、二つを指摘しています。
これは、結論的な事柄であって、本論を理解するうえでのアドバイスということです。


3、次は、批判=検討作業の本論です。
『精神現象学』の「絶対知」の一節から「意識の対象の克服」から、8点をピックアップして、
それを検討していきます。
 二点目「自己意識の外化が、物性をそていする」
 六点目「自己意識は外化をとりもどす。すなわち他在そのものの中で己のもとにある」
この二つの点にみられるヘーゲル弁証法の一面性と問題点を検討しています。


4、本論となるヘーゲル弁証法の検討からみちびきだされることがらです。
ここでは「あらかじめ」や「主要な内容」との形で、予備的にアドバイスされていたことが、
実際の検討した作業からの必然的な結論として提示されます。

私などの学習ですが、目下のところは、

 本論の六点目「自己意識は外化をとりもどす。すなわち他在そのものの中で己のもとにある」
ここにはいろうとしているわけでして、それはなかなかの難関なんです。
今回は、そこを突破するために、大よその組み立てを探ってみた次第です。


今回は、以上です。
 






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Last updated  2024年08月26日 13時44分21秒
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